2010年12月17日

いつも心に切り口を(5)

題材・素材・教材・・・という3つの要素から成り立っているという仮定で
「これを切り口に自分の授業を検証するのも良いよ!!」という提案でした。

検証の例としては、これまたこのブログで何度も紹介してきた
「未来に発見される我々の化石」というやつです。

紹介のプレゼンはこれ。
takatutki_7.jpg
生徒指導上の課題を多く抱えた学校に居たときに開発したもので、未来に自分たちの生活が化石として発見される・・・という主題に抜群のリーダビリティがあるので説明しやすいと考えたからです。

題材(テーマ性)のない授業が多い事を前回書きましたが、このテーマの指向性は強烈です。このテーマを目指すには、現在ある物をドンドン壊して、ドンドン汚していかなければ化石らしくならないからです
takatutki_8.jpg
3つの要素で言うと(残りの2つは)
素材は・・・・粘土・土台となる木製パネル・廃材・絵の具
教材は・・・・現代彫刻・アッサンブラージュ・レリーフ
となります。

前回のエントリーで「3つの要素は関連し合いながら独立した軸」であることを書き、同じ題材を別の教材からアプローチする例も書きました。

その仕組みが解っていると(1枚目の画像のように)「こんなことも可能だ」という例も示してみました。同じ素材である木製パネルをひっくり返して、同じ粘土を使って別のテーマでの制作も可能だという話です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このシリーズは他府県T市から依頼されて講話をしたときの事をもとに構成していることはすでに書いたと思います。ですから、この話をした直後にT市の先生方と実践交流もしたわけなんですが、ある若い先生が自分の授業を発表されるなかで、誰も何も言わないウチから自分で
さきほどの講話に当てはめて考えると、この授業には主題が欠落しています
とおっしゃったのが印象的でした。
飲み込みが早いですねえ。将来有望ですな。



posted by kazyhazy at 21:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

いつも心に切り口を(4)

余所へ行って自分が講話したことで
かえって自分自身の整理にもなった・・・というわけで
その話を振り返りながら書いているのがこの「いつも心にシリーズ」

今日からは2つめの「切り口」の話をしたいと思います。

話の中で2番目に紹介したのは、これまた数年前に滋賀で扱っていたテーマです。
takatuki_6.jpg
素材、教材、題材・・・という言葉を皆さんはどのように捉えておられるでしょうか。

ここでは仮に
■素材:授業の目的を達成するのに最適な材料
■教材:美術の何で学ぶのか 何を学ぶのか (版画で学ぶ・・・とか)
■題材:その制作が目指す方向性や制限を主題化したもの
・・・・とします。
たとえば、
素材:絵の具・画用紙・落ち葉を使って
教材:コラージュの技法を学び
題材「秋の訪れを見つけよう」というテーマの制作をする
・・・・という具合です。

この3つは三次関数と同じで関連し合いながらも独立しているので
素材:粘土、木片を使って
教材:抽象彫刻を学び
題材「秋の訪れを見つけよう」というテーマの立体制作をする
・・・・というように
別のアプローチから同じ主題を目指し、別の学びにつなげることが可能です。
また逆に、
同じ素材や領域を使って、「秋の訪れ」以外の主題へ変えることも可能ですし、
同じ「秋の訪れ」の抽象彫刻でも、(発砲スチロールとか)別の素材に変更することも可能です。

素材・教材・題材の3つは、どれかが欠けるという事のない組み合わせでありながら、その個々は可変である・・・・という構造なのですよね。(まわりくどい言い方)

同じ題材で来年授業をするにしても「素材は最適だったか」「この学びのためには、別の素材の方が良かったのではないか」・・・と検証してみる。
同じ素材を使って来年また授業するにしても「違うテーマで投げかけた方が深まるのではないか」・・・・という風に、個別に可変である特性を生かして授業改善の切り口としてみることが可能なんですね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
よくこんな授業を見かけます。
「さあ今日からはこんな技法でこんな作品を作るぞ!」と生徒に声をかけて始める授業です。(これは、主題が欠落した状況ですね。)

完成作品のイメージが先行していて、そこに生徒の作品を近づけさせようとするだけの作業(授業ではない)です。

生徒は、何のために何を目指しているのかも気づかないまま、なんか美術っぽい作品を作らされるという訳です。(これがよく言う美術の授業もどきですね)

つづく
posted by kazyhazy at 21:09| Comment(5) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

いつも心に切り口を(3)

授業の中の一番大事な本質は何処なのかを押さえ直し
それ以外の部分をバッサリ切ったら、よりよい授業になるかもしれないよ・・・という提案でしたね。その続きです。

やり方の見本として、まず私自身が自分の授業をバッサリやったわけですが、そのために紹介したのはこの授業です。
(このブログでもお馴染みのヤツです)
takatutki_4.jpg
このプレゼンには、「技能を残して発想構想を削った」というサブタイトルを付けました。
(発想構想を削った・・・という言葉には語弊がありますね。)
教師から発信するのは技能的な提案だけで、生徒達はそれをきっかけにして各自が発想したり工夫したりする・・・という意味ですね。
この授業はもうこれだけで完結しているつもりなので、この後に
「この技法を生かした構想画を考えなさい」・・・みたいなコジツケはやりません。
絵の具の加減、ストローの角度、息の強さから生まれる形を追いかけ、
生まれた形を見ながら試行錯誤して、角度や強弱を調節する・・・・・
その活動と体験がこの授業の学び(のつもり)です。

ここから無理に「発想」の授業にしようとしても
クラスの半数が「私は水族館のクラゲの絵にする」と言うかも知れませんね(笑)

もうひとつ例を示しました。
takatutki_5.jpg
これもこのブログでお馴染みのヤツです。
もしも美術がなかったら・・・という架空の世界を考えるヤツです。
見ての通りマジック色鉛筆というお手軽さです。

発想の面白さだけを抽出して、技能面をないがしろにしております(笑)
こういう授業で、描く方にも本格的に力を入れている先生がよくやるミスがあります。

それは・・・・・・

ついつい絵の上手い子を良い成績にしてしまった」・・・・という失敗であります。
アイデアや発想を問う課題なのに、手のひらを返したように作品の巧拙や完成度で評価したのでは契約違反です。
授業の目的と評価の整合性がズレてしまったということですよね。

そうなると生徒の方も目的を見失って、漫画マニアの生徒なんかは、授業の意図である「もしも」のアイデアを適当にして、凝った趣味的なマンガに走る・・・・なんていう事もあり得るわけです。

やはり、残す部分を見極めて、削るべきは削らないと
授業時間が余っている訳ではないですからね
posted by kazyhazy at 23:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月30日

いつも心に切り口を(2)

若い頃、バンバン公開授業をしてブイブイ実践報告をしていた頃
「これでもか!」
と言わんばかりの工夫を重ねて
「どうだ、がんばったでしょ」
・・・という暑苦しい授業をしていた頃。

先生ががんばっておられることはよーくわかりました。
 今度は生徒の学びという視点で授業を振り返ってみましょう」

・・・と教えていただいて目が覚めたことを思い出します。

作品は生徒が作るけれども
授業は、まるで私の作品だったのです。
そんな風に考え直すことができました。

これが考えるための切り口です。

「工夫を凝らした授業に、あとどんな工夫を加えれば良くなるか」
・・・では、同じ方向を向いたアドバイスになってしまって
違う角度から切り込んだことにはなりません。
授業をした本人が、新たな角度から検証し直すきっかけになることが
(若いときの自分のように)大事だと考えました。
takatuki_3.jpg

そこでT市での講話で、最初にぶつけたのは
何を削って何を残したか」というキーワードです。

滋賀で10年以上前に使っていたキーワードですが
T市の先生からこの言葉を講話で使ってくれと言うリクエストもあったので
まずひとつ目はこれで行くことにしました。

滋賀でも、当時は授業をするたびに授業研の司会者(私ですが)から
「今日の授業で先生は、何を削って何を残されましたか?」
・・・と聞かれるのが習慣でした。

表現の授業の中には
■削っても差し支えのない要素
■削った方が良い要素
■削らなければならない邪魔な要素
が含まれていることが多く、
目指している目標に照らせば回り道をしていたり、
かえって生徒が迷走したりしていることがあります。

授業の中の一番大事な本質は何処なのかを押さえ直し
それ以外の部分をバッサリ切ったら、よりよい授業になるかもしれないよ・・・という提案です。

そんな風に言われて
それじゃあ一度この授業で考えてみようか・・・
と言う風になれば、「切り口」として機能し始めたと言うことです。

やり方の見本として、まず私自身が自分の授業をバッサリやるわけですが
その話はまた次の機会に・・・・つづく
posted by kazyhazy at 22:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月27日

いつも心に切り口を(1)

T市の先生方と研究会をしてきた・・・という話をここで以前に紹介してきましたが、その時の講話の内容は主に「切り口」に関するものでした。

お話をさせてもらう機会を与えてくださって感謝です。講話を準備するに当たって自分自身もかなり色々な考えを整理することができたからです。

自由奔放に様々な取り組みを展開する我々美術教師ですが、それが「良さ」となって発展してきた素晴らしい部分にだけ目を向けるわけにはいきません
すっかり落ち込んでしまうような事態に直面することもあります。

何の学びも目的も感じられない美術的な作業・・・いわゆる「美術の授業もどき」とか趣味的な美術の授業は、特に「表現」の授業の中で問題になっています。(こういう活動が授業時数を減らしたとも言われています)

「美術教育の研究もどき」というのもありますよね。
主体的に取り組み、生き生きと感性豊かに創造する生徒を育む、基礎基本を大切にした授業を求めて・・・(笑)みたいな美辞麗句のテーマを掲げて、何をどうしたら主体的と言えるのか、何処をどう見たら感性が豊かだと判定できるのかを全く検証しない研究大会もあるかもしれない。
takatuki_1.jpg

そこでまずは研究をするための切り口とは何かを整理させてもらうことにしました。(自己流ですが)
バラエティに富んだ美術教師が積み上げて来た価値観や実践に、考えるための切り口を差し込む・・・・・。
それに照らして検証しながら授業改善を進めるわけですが、一人ではなく仲間と同じ切り口を使って検証し合い、共通する話題で研究できるなら、それが初めて組織的な「研究テーマ」という事になるわけです。

こんな話から始めました。
そしていくつかの「切り口」を提示して、実際に私の授業実践をその切り口でバッサリと切り開いて見せたわけです。

つづく
posted by kazyhazy at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 教育ブログ 図工・美術科教育へ
にほんブログ村
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。