2011年02月15日

いつも心に切り口を(10)秋田編2

では2つめ。
「美術とは何ぞや・・・?」と問われて
「そんなの簡単じゃん!絵を描いたり粘土で作ることさ!」
と答える人が居たら、そんな人を信用できないですよね。
さらに・・・
「教育とはなんぞや?」と問われて
「そんなの簡単じゃん!黒板の前に立って教えることさ!」
と答える人が居たら、これまた信用できないですよね。

じゃあ、美術教育を足した言葉である「美術教育」ってどうなんでしょう?
・・・・ってことです。
みんな気軽に、解ってるような気になって「美術教育とは・・・」と語ってない?
・・・・ってことです。
foram2_03.jpg
結構(美術教育という)不確定な世界でやってるよなあ>自分・・・という自覚はあります。

色々な機会に出かけて、授業実践を見せてもらうと
「あああ、これも授業じゃないなあ」と感じます。
どちらかというと
「あっこれは授業と呼べるな!」
と思える方が少ないです

しかも、それが私の見識・・・つまり余り高いとは言えない私のレベルでさえそう見えるということです。

例えば(奥村高明先生とか・・・)もっと研鑽を積んだ人が見たら、きっと私の実践であっても
「こりゃダメだ。全然わかっとらん」・・・ということになるであろうという自覚があります。

だから、こんなに低い視野であっても危機感が感じられるのだから、せめて私の見えている範囲だけでも、切り口を明確にして、分かり易く説明する方が良いのかな?・・とブログを立ち上げたわけです。

まあ、私がここに書いているような視点や切り口に気づき、発言するようになって20年弱
昔は(言葉足らずもあって)だれにも理解されなかったのですが、最近は耳を傾けてくれる方が増えてきて幸せです。
アクセス数も増えたし、愛読してくださる方々もいらっしゃいますしね。



posted by kazyhazy at 21:48| Comment(2) | TrackBack(1) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

いつも心に切り口を(9)秋田編1

秋田の参加報告をすでにアップしましたが、同時進行で別のシリーズも進めていきたいと思います。

ひとりの参加者として、どんな話を聞いたか、どんなことがあったかを紹介するのが「参加報告」の方で、そちらの方も続けますが、それはきっと他の方々のブログに詳しかったり、大会運営・交流ブログもあります。

ここのブログの愛読者(?)が読みたいのは、きっとこっちの方だろうと思って「切り口」シリーズを再開します。
内容は、私が秋田大会でどんなに失礼な発表をしてきたか(笑)であります。

当日は発表時間も限りがあったけど、ここでは補足も入れながら書いていくので、もしかしたらこちらの記事の方が分かり易かったりして・・・・

発表の最初は、自己紹介も兼ねて美術室の写真や実践の生徒作品を紹介して・・・・・
foram2_01.jpg
こんな風にもっていきました。
自由奔放に・・・・」の文章は、このブログで以前に書いた記事のコピーです。
そして・・・・
foram2_02.jpg
余り楽観的に捉えないように、一つ目の前提を提示しました。
私の直前に、北海道の山崎先生に口火を切っていただいたのですが、その中にも同じような内容があったので「ああ丁度良い。バッチリだ」と喜んだのを覚えています。

山崎先生の話の中では、生徒作品展を見に行ったときに感じた危機感の話でした。他校の展示を見て「こんな作品が生まれる授業の背景に、何人の子どもが泣いているだろう」と嘆いておられるのが印象的でした。

(私も含めて)面白いことがやりたい!というのが人情。
誰もが「面白くない」ことよりも「面白いこと」に情熱を持つのは当然。
しかし、・・・・・
■自分達は結構やりたい放題やっている人種であるという自覚があるかないかでは大違いです。
ワガママを言いながら、自分がワガママであることをちゃんと自覚してるような感じでしょうかね。「自分はワガママではない!これで正しい」なんて信じてやってたら大変ですよねえ。

そして、面白いことに熱中するのは良いけれど
■面白いだけで、学びの裏付けのないものもだめです。

まあ、私たち美術関係者はやりたい放題の人が多いと思って、(自分もその一人だと思って)議論や研究を進めれば間違いない!・・・・ってこれ名言じゃない?
えっ?違うか。

posted by kazyhazy at 23:39| Comment(3) | TrackBack(1) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

いつも心に切り口を(8)骨と肉3

前回のエントリーに沢山コメントをいただきました。
ありがとうございました。
その中から紹介させてください。

「大切」という言葉と同じように、教育界には、紛らして濁して終わり!っていう言葉多いですよね。」

・・・というのもありましたし

読んでいて、笑ってしまいました。
笑いながら、読んでいる側は、自分が切られている事に気づきます…


・・・というのもありました。
自分でブログの文章を読み返してみると、結構言葉足らずの部分に気がついて、
マズイ文章だったかな?と反省していた所なんですが、コメントを読んで、さすがに鋭い先生方は、文章が不味くても読み取ってくださる・・・と安堵しました。

では、楽しいだけの授業・・厳しく学べる授業・・・それは子供のどんな態度、様子、言葉、から読み取っていけばいいのかしら・・・

・・・と書いていただいた先生もいらっしゃるので、私なりに返事を考えてみようかなと思いました。3段階あるので3つに分けて書きますね。

■(1)まず、この「いつも心に切り口を」のシリーズですが、
 誰の心に必要な切り口なのか・・・と言えばズバリ教師です。
 T市の職員研修用に作った原稿を再構成していますので、
 このシリーズは明らかに教師向けです
 ですから、このシリーズでは生徒を見る観点には言及していませんので
 この文脈のみから答えを探そうとしても見つからないと思います。
takatuki_1.jpg
 最初に見せたプレゼンもこのように↑なっています。

 では、教師方向と生徒方向と両方を兼ね備えたプレゼンは無いのか!
 ・・・と言うことになるのですが、 
 へっへっへ とびっきりのがありますぜ ダンナ(密売人風
 なんでも滋賀という所の今の研究テーマがそうらしいですぜ。

 ★関連記事 研究テーマの組み立て
 ★関連記事 研究テーマの観点

■(2)そして「子どものどんな点から読み取っていけば良いのか」についてですが、
 私なら「後から悩んでいるのではもう遅い」・・・と考えます。

 授業の最中や授業が終わった後に
 「あああ、どんな点で読み取ってやるべきだったのだろう・・・・」
 と言うのは手遅れです

・生徒がこのような力を獲得したら「良し」としよう
 ・生徒がこんな風な反応を示したら「良し」としよう
 ・生徒がここで苦しんで そこを乗り越えたら「良し」としよう

 という観点が先にあって、
 それに適した材料や「仕掛け」が後から整備され、
 そこから授業が始まる
ような感じでしょうか。

 T市でも「骨と肉」の解説例に「マーク作り」を紹介しました。
 (このブログでは秋頃に連載していたシリーズです。)
 生徒の内面の思考過程と関連させた素材の選定について書いたところを
 リンクしておきますぜ ダンナ。(この言い方結構気に入ってたりして)

 ★関連記事「マーク作りはじめました」 「素材編1」  「素材編2」

■(3)あともうひとつ。これは受け売りなんですが、
 「図工美術ほど生徒の意欲・関心など反応のわかりやすい教科はない!」
 ・・・とおっしゃる先生がいます。(滋賀大の新関先生ですが)
 他教科は、成績を付けるとき、知識的な観点は数値化しやすいけれど
 意欲や関心となると困っておられる先生が多い・・・らしい。

 「まあ受験教科だから、しかたなく頑張っているけど、本心ではこの教科に意欲も関心もないもんね〜」 なんて頭の中では考えている生徒もいるかも知れないですよね。

 その点 図工美術は色々と見えてくるポイントがあるんじゃないですか?
 いやいやポイントは自分で事前に設定するんでしたね。

posted by kazyhazy at 23:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

いつも心に切り口を(7)骨と肉2

前回は「骨と肉」について
授業の骨格と、豊かな肉付けを別々に考えよう!・・という話でした。

別次元の話を一緒くたにしてしまうというのは
(一部)日本語の罪でもあるかもしれません。
主語が無くても、結論が無くてもしゃべれる言語ですから。

「想像力って、やっぱ大切ですよね〜」
・・・・なんて会話を研究会で聞くとつっこみたくなる(関西人だから?)
「主語は誰やねん!」ってね。

いやいや。本当のクセモノは「大切」という言葉の方かも。
研究会で「大切」という言葉が出たら
くせ者じゃ!出会えぇ」という気持ちになります。

大切って何? どういう意義があって、どう機能してると言いたいの?
大切だから何?  気持ちの問題?
などと突っ込みたくなります。

あらら・・・脱線してきた。
骨と肉にもどります。

takatutki_9_2.jpg
さて骨と肉ですが、「切り口」自体の意味を分かってもらうために
こんな例を用意しました。
まずは、美術教師にお馴染みの彫刻作品における骨組みと肉付けです。

オーソドックスな具象彫刻の場合に限るかも知れませんが
「粘土だけでは崩れてしまうけど、心棒だけでは根本的に意味がない。」
という例です。
「骨と肉」という考え方を、こういう風に短絡的に美術に適用するだけではなく
普遍的に通用する切り口であることを伝えるために
全く別の例をだします。(これです)
takatutki_9_3.jpg
自動車を購入するときの動機を「骨と肉」で説明してみました。
■スペックが大変良ければ、全く気に入らない車でも買うだろうか?
■とっても格好良いので、ハンドルは付いてないけど買おう!なんて思うだろうか?

・・・と言う風に「骨と肉」はあなたの身の回りのあらゆる所に潜んでいるのです。(ホラー調
ほら・・・あなたの後ろにも・・・!

なんてフザケている場合ではないですよね。
明るく楽しい学級を築くために、方針や規律が必要なのと同じように
takatutki_9_4.jpg
興味が惹かれる楽しい授業には、学びの裏付けが欲しいですよね。

これを読んで・・・・
やっぱ骨と肉って大切っすよね」なんて言わないでください。
だ・か・ら 「大切」は嫌い!って言ってるでしょ。(笑)

posted by kazyhazy at 02:57| Comment(6) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月22日

いつも心に切り口を(6)骨と肉1

他府県の研修会を頼まれて
どんな研修会にしようかと、色々考えるウチに自分の整理にもなって

こんな研修会にしたよ、こんな話をしたんだけど、
こんなんで良かったですか?
・・・・とネット上に書くことによって問いかけてるコーナー。

今夜はその6回目
紹介する「切り口」で言うと3つめになります。
takatutki_9.jpg
今日の切り口は「骨と肉」です。
構造と肉付け」とか「仕組みと中身」とか・・・・・
言い方は色々あると思うのでどれでも良いのですが、プレゼン画像の中にも色々と言い直した言葉が書いてあると思うので、みなさん自分に一番しっくりくるものを選んでください。

上のプレゼン画像の下の方に、白い字で小さく書いてあるので読みにくいと思いますが
「歯車自体の形状や強度を論じるとき、その並べ方や動きの仕組みは、別問題として扱わなければならない」・・・・な〜んてことが格好良く書いてあります。

物事を考えるとき、中身の問題と仕組みの問題を混同して考えてはいけませんよ・・・・という事なんですよね。

知り合いに、硬派な美術教師がいまして
児童生徒作品展に行くたびに嘆いておりました。
「あんな中身のない楽しいだけの作品が並んでいるのはけしからん!」
・・・ということだそうで、中1の授業から、バリバリと石膏デッサンの指導ができる力を持った先生であらせられます。

「私は、あんな楽しさを追求した美術は苦手だ。もっと手堅い授業をしっかりやりたいんだ」
・・・とおっしゃるんですが、この先生の考えで行くと

楽しい美術の授業 ←→ 手堅い美術の授業

このように両者は「対立した概念」ということになります。
こういうのをステレオタイプというのですが
この世は善か悪か・・・保守か革新か・・・プラスかマイナスか・・・二者択一でしか語れなくなってしまいます。

takatutki_9_1.jpg

こういう混迷したときに便利なのが!(じゃじゃーん)
骨と肉
という切り口でありまして、この場合は

■骨:授業の構造は手堅く・・・
■肉:
授業の中身は豊かに、楽しく・・・・

・・・・という風に両者を別問題として扱って、両立させてしまえばいいのです。
いやいや、両立しててもらわないと困ります。

いくら真っ当な授業であっても美術の楽しさが微塵も感じられない授業なんて・・・
いくら生徒が食いつく作業であっても、主題や狙いが存在しない授業なんて・・・

「考えられない!」・・・・と言いたいとろですが現実は???????
posted by kazyhazy at 21:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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