2016年09月24日

メンター制の研修(2)

全職員の講話可能な得意分野がわかったところで
学校長を巻き込むことにしました。
新しい職員体制へと再構築する意味もあるし
新しい仕事を任命する部分もあるので
やはりここは学校長にお願いするしかありません。

その辺、よくわかっている校長なので
ガンガン進めていただけまして、かなり所まで考えていただけたのでありがたかったです。
そうして決まったのは4種類のグループです。

◆大ベテランで初任者に講話もできるけど、すでに主任などリーダー的な仕事をしている先生方にはコーディネータを頼むことにしました。まあ、研修会のファシリテータは梶岡で十分なのですが、できるだけ多くの先生方を巻き込もうという校長のアイデアです。

◆ベテランだけどあまり前に出る役職は担当していない・・・けど得意分野がはっきりしていて、有意義な話をしていただけそうな先生方に講話担当をお願いしました。

◆20代の先生ではありますが、初任者と共感できる部分も多いので今後の成長を見込んで、あえて若手の講話担当をお願いしました。

◆話を聞く側の初任者と臨時講師の先生と「私も初任者と一緒に話を聞きたい」と言ってくださる勉強熱心な先生方
・・・・の4つです。
IMG_0685.jpg

そうしてこの企画の第一回目が始動し始めました。
いつもだったら私が初任者3人を別室に集めて一般研修をしている時間に
平成31年からの「特別な教科 道徳」について語れる講師役の先生
場を進めてくださるコーディネータの先生
聞く側の初任者と臨時講師の先生
・・・・とが集合して有意義な研修会を開くことができました。
聞くだけではなくて、話し合う場まで設定してくださって感謝感激です。



posted by kazyhazy at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メンター制の研修(1)

今は文化祭前、本校はクラスごとに合唱コンクールの練習に余念がありません。
担任でない身としてはちょっと寂しい日々ですが、初任者三人のクラスに順ぐりに入って、一緒に歌っています。
一応これでもミュージシャンの端くれの風上にも置けない人間なので、音楽指導の真似事はできます。
(最後に担任したクラスも合唱では優勝しましたし)
クラスでの練習をどんなふうに進めるのか、研修も兼ねて実演しています。

それはともかく。
今日の話題、メンター制というのをご存じでしょうか?
詳しくはこのページを見てもらえる方が詳しいのですが・・・
クリックすると↑こんなページに行きます。
mentor.JPG
メンターと言うのは、先輩でもなく、指導者でもなく、上司でもなく
アニキ♡
というのが正しい翻訳なんじゃないかと個人的に思っています。

私のような指導担当や管理職、学年主任といった役職ではなく、年齢も近く一緒に悩みを共有できるけどスキルはある人材という感じでしょうか。
このメンター制を初任研にも導入するだけでなく、職員全体を巻き込んだ構造改善をして、学校活性化をもくろむ企画であります。

まずは、人材の確保と言うことでこんなプリントを配りました。
mentor2.JPG

これでどの先生が、どんな分野が得意で、どんな話だったらしていただけるのかを掌握しようというのです。
プリントに締め切りが書いてるのでわかるように、7月の話です。
「どれだけ重複して企画を進行させてんねん!!」
・・・という感じでしょ? そうです。結構トホホなんです。  つづく
posted by kazyhazy at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月21日

校内研日和(17)

<学校における仮説検証の問題4>

これまで仮説検証型の研究の難しさについて色々と書いてきました。
少し間隔があいたのでまとめると・・・
◆仮説検証は自然科学には有効、教育の場では慎重な扱いが必要
◆学び合いやアクティブラーニングでは無効、逆効果
◆美術では、まともな美術の授業なら無効

・・・という感じでしょうか?

「教師がこんな教え方をすれば、生徒はきっとこうなるであろう」
・・・という仮説が成り立つかどうか考える前に
こういう考え方自体がすでに昭和の授業ですよね。

「生徒がこう考えたから授業がこうなった」
「生徒がこういう意見を言ったから作品の解釈がこうなった」

という感覚を、無理なく体得していないと上の仮説の可笑しさには気づけないかもしれません。
azuchi3.jpg

さて、一世を風靡したPDCAのことを書くと言いながら後回しになってました。
PDCAというのはご存じのとおりPlan→Do→Check→Actionの頭文字で、計画して実行してみてチェックして改良して、次の計画を立て直して・・・と螺旋状に延々と続く考え方です。

これ自体は悪い考え方ではありません。
「運動会を計画して、やってみたら計画の不備が見つかったので改善して次年度の計画が良くなった」という使い方なら何ら問題はありません。
むしろ学校と言う組織でよくありがちなのはPDCA段階さえ十分機能していないで、同じ行事で翌年も同じような失敗を繰り返すというパターンなのかもしれません。

まだ学校でPDCAという言葉がほとんど聞かれんかった10年ほど前、じつはすでにPDCAの問題点について研究会で話し合ったことがあります。まだ導入もされていないのに気の早いことです。

前回に登場した「磨き上げられた指導案」ですが、これはPDCAによって改善を重ねた指導案ということになります。磨き上げられたすっごい授業なのですから、どんな生徒が来てもこれでバッチリ!という感じになります。つまり、生徒が何を言っても変化しない授業と言うことになりますからPDCAでの授業改善には問題があるということですね。

運動会の話と合体させて考えてみると分かると思うのですが、PDCAは大人同士の仕事には役に立つようですが、子供相手に使っちゃいかんということなのではないでしょうか?

なんでも「PDCAで改善」という人も問題ですが、「今時PDCAなんてダメだ」という人もステレオタイプです。有効な場を選んで絶妙に使っていただきたいものです。
posted by kazyhazy at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

校内研日和(16)

<学校における仮説検証の問題3>

私が勤務する市内の小中学校でも、遅ればせながら「学び合い」の研究が盛んになり、先進的な愛知や静岡の先生方を講師に来ていただいて研究会が開催されます。
勉強のために時々他校に顔を出して話を聞かせてもらうのですが、やはりそこでの講話の中で「仮説検証型の授業改善ではだめだ」みたいな話題がでます。

(私的には全否定ではなく、以前書きましたように絶妙な導入希望です)

CIMG7896.jpg

さて、「学び合い」の授業がうまくいっている場合生徒の側から授業がどのように見えるのか、考えてみましょう。
◆私が意見を言ったから、班の話し合いがこうなった。
◆私が分からなかったから彼が教え役になった。
◆私が居たからこの授業がこのように進行した。
◆私が気づいたことで、作品がこのように解釈されるようになった。

・・・と言う風に、録画の番組を見ているのではなく「生放送」に参加しているような感じで授業を受けることになります。当然、他のクラスには「私」は居ませんから、また違った展開になっているはずです。

仮説検証型の授業改善で、素晴らしい指導案ができたとします。教師がああ言えば予想される生徒の反応はこうで、試行錯誤の末に磨き上げられたこの授業なら多くの生徒の理解が格段に上がる・・・という授業も、生徒の側から観察してみましょう。
◆この先生は授業がうまくて、分かり易くて迷いがない。
◆私が何か言ったところで揺るがないだろう。
◆私が居なくても、よどみなく授業はこのように進行するだろう。
◆きっと他のクラスでも同じように進行し、時間通りに帰結するだろう。


・・・という風に、こちらは池上先生か林先生の番組を録画で見るように、内容は素晴らしいかもしれないがテレビの外側では授業に参加することはできません。

これで鑑賞をやったら
◆この先生は作品や作者のことをよく知っている
◆色々なことを教えてくれるので聞いていて面白い
◆最後に、この作品の素晴らしさや作者の凄さを教えてもらった

・・・という風になります。
「この授業のどこが悪いねん」と誤解を与えそうなギリギリの文章で書いてみました。(意地悪ですね)

できれば上の文章を読んで「こんなん全然あかんやん」「こりゃ最悪だな」みたいな感想をみなさんには持ってもらいたいです。
posted by kazyhazy at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

校内研日和(15)

<学校における仮説検証の問題2>

昨日のエントリーでは校内研(学校研究)全般での仮説を設定することの問題点について言及しました。
では「学び合い(学びの共同体)」ではどうなるのかと言うと「なお一層問題がある」と言わざるを得ません。

「ウチの学校は学び合いをやってないので関係ないもん」・・・とおっしゃる方が居たら、それは間違いです。このブログのほとんどの読者が美術教師なのだからなおさらです

対話による鑑賞をやっておられる先生方はお気づきだと思うのですが、「対話」している時点でもう学び合っていますよね。
鎌倉幕府の設立は何年ですか?みたいなひとつの正解を当てるだけの発問ではなく、
「君は何に気づいたのか」
「どう思ったのか」
「なぜそう感じたのか」
「彼はこう言っているけど、この意見に対して他の人はどう思っているのか」

・・・というオープンクエスチョンで授業が進み、生徒によって、クラスによって感じ方や解釈が変わっていくことを受容しながら、授業自体が生み出されていくのですから、「学び合い」とは根っこが同じです。

当然、表現の授業でも「全員が靴をデッサンしなさい」みたいな授業ではなく、作りたいもののイメージを主題化させていくような「まっとうな」表現の授業をするなら、生徒の多様なテーマや試行錯誤を受容しながら進めるところで根っこは同じです。
CIMG7876.jpg

まだ「学び合い」の実践や研究をされていない学校でも、次期学習指導要領ではアクティブラーニングをはじめとした「学び方」「いかに学ぶか」について言及されるはずですから、「関係ない」なんて言ってられないことになるでしょう。

さて話を戻して、
仮説が馴染むのかどうかを確かめるために対話による鑑賞でわざと仮説を作ってみますね。
「教材にピカソのゲルニカを選んで鑑賞の授業をすれば、生徒たちは戦争の悲惨さや悲しみに気づくだろう」

どうです? 気持ち悪いでしょう。

「○○の作品を鑑賞すれば、生徒たちはきっとこういう意見を言えるようになるだろう」・・・というパターンに当てはめている時点で鑑賞する意味があるのかどうかさえ分からなくなりますよね。

検証するしないに関わらず、仮説を設定すること自体に無理があることが分かると思います。

posted by kazyhazy at 20:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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