2017年02月15日

校内研日和(30)課題と展望6

学び合いが進んでいる学校から見れば
「まだ、そんな段階か?」と思われそうですが・・・
本校ではまだ「みんなが解るようになることが授業の目標である」ということを共通理解して、学校をあげて教師も生徒も一丸となって実現に取り組むところまでは行っていません。(目標設定の課題)
同時に、単に「自分だけは課題ができた」と言っただけでは評価せず、「わからない」と言って教えてもらっている生徒を評価するという目標に沿った評価の段階にも達していません。(評価の課題)

そういうことができていないのなら、
「じゃあ授業で何をやっているのか」を端的に言ってしまうと、課題の「解き方」を教える時間になってしまっているのではないでしょうか?
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これは美術でもありうる話だと思うのですが
「描き方を教える」とか「作り方を教える」ような授業になってしまった時「うわぁ今日の授業は大失敗じゃないか」なんて思うことがあります。
生徒自身が表現したいことを実現するために試行錯誤する醍醐味は必須だと思うのですが、それが無いのなら、「やらされ感」満載の授業という事になりますよね。

5教科でも同じです。
課題を聞いて、どうすれば良いのかを友達と相談したくてウズウズしている生徒に、教師が解法を伝えてしまえば台無しです。
そんなことをすれば「優秀な生徒は良く理解して、普通の子はだいたい理解して、不得意な子はできない」という従来通りの結果に留まることになるのではないでしょうか。今現在がそうであるのは、そういう授業になってしまっているからなのかもしれません。

しなければいけない「目標と評価の再設定」できていなくて
しない方が良い「解法を教える」という授業をしてしまっているのなら
現状の本校は「正反対じゃないか」と言われても返す言葉がありません。

「授業観もひっくりかえるじゃないか」
というところに私が至った話に、ここでつながる訳です。
そう考えないとパズルのピースがうまくはまらないのです。



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2017年02月14日

校内研日和(29)課題と展望5

さて仮に・・・
「一人たりとも残すこと無く全員が課題を解ける」ようになることを本気で目指し
「みんなが解るようになることが授業の目標である」ということを共通理解して、学校をあげて教師も生徒も一丸となって実現に取り組んだとしましょう。
すると、目標と評価は表裏一体ですから評価も変わることになります。
そういう条件で授業や評価を考えてみます。

まじめに机に座って問題を解き「先生出来ました」と行ってきたAという生徒が居たとします。その生徒Aくんには、
「君だけではなくクラス全員が出来たのか?」と聞き返すことになります。
目標はそこですから。
一人たりとも残すこと無くみんなが解るようになること授業の目標なのですから。
その生徒Aがもし「他の人のことは知りません」と言ったら、
「全員ができることが目標なのだから、それを全く目指そうとしない君は0点である」みたいなことを伝えないと行けません。
0点というのは極端な作り話ですが、まあそういうことです。

一方、教室内を立ち歩いている生徒Bは、課題が解けなくて「わからないから教えて」と聞いて回ってます。
生徒Bが教えてもらおうする行為は「クラス全員が解るようになること」に近づく行為ですから
「あなたは素晴らしい」という評価を、全員の前で、少し大きな声ですべきということになるわけです。
manabiai.JPG

過去記事で最後の研究会の外部講師さんのこんな言葉を紹介したと思います
「わからなかった時に『わからない』と生徒が教室ではっきりと言えるのならそれは素晴らしいこと。それは学校が変わり、授業が楽しくなる兆しである。」
そして、
「そんなことぐらいで学校が変わるか〜?」と思いながらその言葉を考えた私が、
「なるほど、確かに学校が変わるし、授業観もひっくりかえるじゃないか」
というところに至った話に、ここでつながる訳です。

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2017年02月13日

校内研日和(28)課題と展望4

「学び合い」が発生するように色々な手段を講じてきました。
そんな研究をやってしまって「すいません」としか言いようがありません(涙)
そうではなく大きな目標のための手段として「学び合い」を位置づけないといけません。
大きな目標とは何かというと、
こんなことは「学び合い」では常識的な目標で、
本校の研究主題の中でも触れていることで、
一斉授業では達成できていない・・・

「すべての生徒ができる」「すべての生徒がわかる」
なんですよね。ここに本来の目標があります。
(当たり前と言えば当たり前の話)

しかし、よくある研究主題で「全員が○○できるナントカ」って書いてあっても
なんかお題目のようで、本気にできない自分が居ます。
これも美術科教師のサガなのかもしれませんが、美術では「全員が○○できる」という目標は、充分に射程圏内にあります。だからこそ、それを目指すのはなんか当たり前すぎて見過ごしてしまうんですよね。

基礎5教科では夢のような話であるということを。

5教科のテストでは正規分布が出れば良い方で、最近はたいていフタコブ駱駝です。
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殆どの生徒が8割以上の点を取ったり、全員が連立二次方程式が解けるなんて状態を(本来なら学力保証してやらないといけないにもかかわらず)どこかで不可能だと思い込んでいて、内心では実現を信じていなかったのではないかと思う訳です。

これを本気で目指すとなると教員の意思統一を図って「学校を変える」必要が出てきます。
「一人たりとも残すこと無く全員が課題を解ける」ようになること「みんなが解るようになることを全員が目指す」のが授業である、ということを教師も生徒も共有して認識しなければいけません。
そして、それをしっかり語りかけることが教師の最初の仕事になります。全教科で、各担任からも繰り返し語られなければいけません。

これが「もっとこういう風にすべきだった」という反省と「次年度はこういう風にしなきゃ」という展望のひとつめになります。(まだ他にもあるんかい!)

「そんな事は知ってたよ」という方々には恥ずかし話題ですいませんが、続きます。

posted by kazyhazy at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

校内研日和(27)課題と展望3

前回ですが、私が何をどう反省したのかがイマイチ分かりにくかったと思います。
「美術科ゆえの誤解」というのを紐解きながら補足していければと思います。
まず私は、
題材の投げかけによって、生徒が多種多様な発想を生み出し、主題を生成していくことが素晴らしいと感じているし、素材との格闘で試行錯誤しながら追及していく姿を表現の授業の中で見ることができれば嬉しいと感じます。
また、対話による鑑賞「ひとつの到達点」と考えていて、これが「学び合い」の理想的な姿だと思っていたフシがあります。
「学び合い」には共有の課題ジャンプの課題がありますが、最初に作品をじっくり見て「何が見えたか」を発表しあって情報共有するところなどは、文字通り共有の課題と言えるし、当初は本人さえ気づいていなかったような深い解釈が後半になって登場するところなんかはジャンプの課題のように見えます。
つまり、表現にしろ鑑賞にしろ「美術の授業が良い状態になったとき」「学び合いがうまくいった状態」の手本だと考え、「他教科も美術を見習えよ!(笑)」なんて不遜なことも無意識に思っていたかもしれないのです。
ashura.jpg
私たちは質の高い対話を生み出すために「ふさわしい作品を選定」したり、「発問を投げかけ」たり、うなずいたり、繰り返したり、まとめたり、広げたり、投げ返したり、根拠を尋ねたりするわけですが・・・
ここで私はすでに間違えていて、「質の高い対話」が目的になっていて「そのために様々な手段を講じている」自分に気づくわけです。
そして、あれこれと策を弄する自分の発想が、いつまでたっても教師主体であることに愕然とするのです(笑)

昔の一方的な講義調の授業に比べれば、ファシリテーションの考え方は一歩進んだやり方と言えるので、そういう変化には肯定的だったのですが、この一年間で「学び合い」の研究で得られた知見のピースが、ところどころ自分のパズルにハマらなくなってきたという訳なのです。

例えば、2つまえの記事に「わからなかった時に『わからない』と生徒が教室ではっきりと言えるのならそれは素晴らしいこと。それは学校が変わり、授業が楽しくなる兆しである。」という講話の一部を紹介しましたが、対話による鑑賞で生徒が「わからない」と言ってあちこちの友達に訊きに回るという姿はあまり想像できないのではないでしょうか。
そういう風に「学び合いの授業」のイメージがちょっとズレてることに(今更ながら)気づいたという訳なんです。


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2017年02月11日

校内研日和(26)課題と展望2

さて、昨日の続きなんですが、
本年度の反省点をどのように絞り出したか、「研究主題」を材料に2つにまとめたいと思います。
本校は下のような研究主題で一年間やってきました。
6月レジュメ.JPG
これはこれで勉強になったんですが、「授業をめざして」の部分も「課題設定の工夫」の部分も主語が教師であるところが気になりだし始めました。
まあ、校内研ですから研究する主体は教師なので仕方がないのですが、研究の主体のことではなく「授業の主体が教師である」という呪縛に捕らわれてやしなかったかという事なんです。
そもそも教師主導の授業から脱却して「学び合い」へと進めたいと考えているのに、研究の根本が「教師主体の視点」から抜け出せていなかったのではないか、という訳ですね。
教師の工夫如何によって何とか実現させようとしている点、これが一つ目の反省点です。

もうひとつは、副題である「学び合いを生み出すための課題設定の工夫」にあります。
この文言では、学び合いを生み出すことが「目的」になっていて「それを実現する手段を研究する」という意味になってしまっています。
そもそも学び合いは目的では無く「学習の手段」です。別の大きな目的を達成するために「学び合い」という手段を選ぶ、というスタンスにまとめ上げなければいけなかったのでは?という疑問を持ちました。
となると、逆に問われるのは
「何のために学び合いをするのか」
「何を達成させるために学び合いは必要なのか」

という目的を定め直さなければいけないということになります。
要するに目的と手段を取り違えていたわけですね。
(もっと早く気づけよって感じですか)

その辺の誤解は、私が美術科であることとも関係があります。
何をどう誤解したのかを次回書きますね。
posted by kazyhazy at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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