2017年03月22日

メンター制の研修(最終)

昨日に引き続いて↑(最終)の文字が!!
3月も下旬という事で、色々なシリーズが最終回を迎えようとしています。
メンター制の研修も先日、最終回を迎えました。
本来は初任者3人のための企画なのですが、メンター自体が「職場の先輩を囲む小グループ」という意味合いもあるので、若い先生方には軒並み参加を呼び掛けています。
IMG_0510.jpg
この日も生徒を帰した後の教室で8人の若手 + 私・・・で勉強会です。
話題提供は10年目の先生で、その先生が担任する教室を会場にして「教室経営」「4月の最初の3日間」について、良い研修会をすることができました。

夏休みに準備をして9月からスタートさせたメンター制ですが、全員の先生から「どんな話だったらできるか、得意なのか」についてアンケートを取っておいて、その中から講師役の先生をお願いしていました。
この10年目の先生からは「4月の最初の3日間の学級経営」についてなら話ができるという回答を得ていたのですが、9月からメンター制を開始するときは「ちょっと時期が遅かったなあ」なんて思っていたものです。
しかし!!
「そうだ!3月に研修会をやれば4月に生かせるじゃないか!」
と思いついたわけです。(えらいぞ>私)
1年経って学校の様子もわかり、色々な反省点にも気づいている今、4月からの新学期のスタートに「こういう風にやってみよう」「あんな風にやりたい!」と意欲的に学級づくりを考えてもらうには今時期が一番ではないですか!!
同じように考えてくれたせいか、若手〜中堅で担任を持っている先生や、現在は講師だけど4月から採用が決まっている先生が集まってくれたという訳ですね。

posted by kazyhazy at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

校内研日和(最終)

本日は本校職員に「研究紀要」を配付することができました。
今年度は研究のやり方や進め方を抜本的に組み直し、メンター制などの新しい企画も併用しながら進めることができたので、
「これは是非!冊子に残した方が良い」
と言う校長の鶴の一声で原稿を作って発注しました。
IMG_0513.jpg
冊子にするとなると、やはり費用が掛かります
安く上げようと思ったら、PDFで仕上げてサーバー上に置いて、皆さんにはリンクのショートカットだけを進呈する・・・という方法があります。
いくらなんでもそれは・・・と言う場合は原稿PDFをCD-Rに焼いて配付するという方法もあります。
例年はどちらかの方法だったと思うのですが
「見たいときにデータを開かなければいけないのよりも、やはり手に取ってパラパラめくれる物でないと・・・」というのが校長の持論で、年度末の苦しい時期に費用を捻出していただきました。

これまでも冊子の印刷を発注することがありまして、まだあまり普及していなかった時代からネット印刷はガンガン利用させていただいていました。完成原稿のEPS(エンハンスドポストスクリプト)のデータ入稿で安く上げる工夫なんかもしてきました。
今回もネットで比較して最安値を探しまくって見つけておいたのですが、それよりもずっと安いところにお願いすることができました。このブログの愛読者のIさんです。
安いだけではなく知り合いでもあるので丁寧に対応していただきました。
この時期は非常に忙しかったのではないかと思うのですが、お世話になりました。
ブログをやっていることが、こんなところで役立つとは!

配ったときの先生方の反応は・・・ご想像のとおりでした。


posted by kazyhazy at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

校内研日和(33)課題と展望9

例えば数学教師が
「今日は全員に二次方程式が解けるようになってもらいたい」
と考えたとします。進度的にもそこがベストです。
そして課題を生徒に示します。
昨日までのブログ記事のルールに則って解法は教えません
ここまでは理解してほしいという学習の到達地点の設定と、それにふさわしい課題を示すことだけが教師の務めなので、あとは透明人間になろうとします。
活発に対話している班も良し、黙って考え込んでいる班も良し。
しばらくして分かり始めると、それを班員全員と共有しようとします。
そういう班を誉めます。
周りが分かり始めたのに自分は分かっていないという生徒が「わからないので教えてほしい」と言い、そういう生徒も誉めます。
斯くして、教師が教えていた従来の方法なら生徒の理解度はテストの分布グラフのようだったのが、このような授業に変えてからは全員ができるようになりました・・・・というのが、私が考える「良い授業」のイメージです。(ただし基礎5教科限定です。)
manabiai04.jpg

これを良しとするならば、誤解していた部分があります。
生徒が鑑賞作品を見て、色々な解釈を生みだしたり、他人の発見に驚いたり、教師も気づかなかったような深い思いをくみ取ったり・・・こういうのが学び合いにふさわしい課題だと思っていた私は、基礎5教科にも同じようなことを求めていました
社会科なら「アフリカの国境線を見て気づいたことや考えを話し合いましょう」
みたいなのをすれば、他国に比べて定規で引いたような直線の国境線に色々な解釈が生まれるだろう・・・みたいな感じです。
こういうのだったら良い授業になりそうじゃん!と考えていました。

ただし、こういう課題の場合は、数学のように各班で「できた!」という声が上がるタイプの課題ではないし、全員ができたかどうかの確認も生徒同士でできません。
そもそも、どの状態をもってして「課題が解けた」と言えるのかが分かりません。
それに、こういう課題の場合はファシリテータが場を仕切る方が充実した時間になると思えるのですがどうでしょうか?
・・・ということは「学び合い」では、こういう凝った課題設定は必要なく「できた・できない」がはっきりしたものの方が良いのでしょうか?
悩みは尽きません。

posted by kazyhazy at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

校内研日和(32)課題と展望8

「良い授業のイメージ」をどう持つのか。
というのが大事だという堤先生田中真二朗先生のアドバイスをいただき
今までのところを整理してみますね。
悩みながら、反省しながら書いているので、今回のシリーズは文章が散漫ですから。

テーゼから導かれたこれまでのイメージは・・・・
「一人たりとも残すこと無く全員が課題を解ける」ようになることを目指し「みんなが解るようになることが授業の目標である」ということを教師も生徒も共通理解している状態であることが大前提。
これには4月当初や授業の冒頭で、この価値観を浸透させるような「語り」が教師から出す必要だと思われます。(透明化を目指す教師の数少ない仕事の一つになります。)
こういうので始めるのが私にとっての良いイメージです。

◆ついでと言っては何ですが、もうひとつ大風呂敷を書いてしまいましょう。
それは授業観にとどまらない「学校観」と言ったものです。
従来のように得点を競ったり、自分の学力をあげるために行くのが学校なんじゃなくて「他者との対話によって知見や人間性を磨く場」が学校なんだ、それが学校の存在目的なんだという共通認識ができれば言う事ないですね。(教師も生徒も地域もです)
これはキーコンピテンシーの考え方とも合致しているので良いんじゃないですか?
(文科省にリンク)↑
manabiai03.jpg
◆良いイメージの授業では、授業観や学校観に沿って評価も変わっています。これまで書いたように「自分が課題を解けるか」ではなく、「全員が解けるようになることに対して如何に貢献しているか」で評価されます。わからないことを「わからない」と言う事も高い評価を得ます。
常日頃から繰り返し形成的評価をすることで、この価値観も浸透しているのが理想です。

◆課題の解決策は、教師が教えるのではなく生徒たちが考えるというのも大事な授業のイメージです。ここが学びの真骨頂ですから教師が奪ってしまっては意味がありません。生徒たちが課題に没頭し始めると、教師は口をはさんで邪魔をしたりせず、ひたすら透明化を目指します

◆そして、まだ書いていないのが学習目標の設定と、それを達成させる課題の設定です。
「この時間に生徒たちはどんな力を身に付けなければいけないのか」「そのためにはどんな課題を投げかけるのが妥当なのか」です。
これは生徒にはできないことなので、教師が考える仕事になりますよね。
ここがバシッと決まるのも良い授業の条件ですが、これがなかなか難しい。
またまた美術科の授業のイメージと似て非なる部分もあり、混乱させられています。

頭がパンクしそうなので今日はここまで。
(振り返りが多くてあんまり進みませんでしたが)
明日は課題設定の悩みを書きますので、論客のみなさん!
今日の所まででまたまたアドバイスをください。


posted by kazyhazy at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

校内研日和(31)課題と展望7

過去記事で紹介した外部講師さんの言葉
「わからなかった時に『わからない』と生徒が教室ではっきりと言えるのならそれは素晴らしいこと。それは学校が変わり、授業が楽しくなる兆しである。」
をきっかけとして、そこから導き出せることを次年度への展望とすべく思索を続けてきました。
講師さんはこの言葉を講話の中で「ちょっとした話」程度にサラッと流されましたが、仮説のようにとらえ直すことができます。

仮定 もし生徒が分からないときに『わからない』と素直に言えるなら
結論 学校が変わっているだろう 授業が変わっているだろう

この「風が吹けば桶屋が儲かる」ような仮定をテーゼとして考えた訳ですね。
テーゼなんて言葉は「残酷な天使」にしか使ったことがありませんが、桶屋が儲かることが正しい命題だとしてそこまでのイキサツを類推するような感じです。
風が吹いてからの見えない部分を埋めていくんですね。
manabiai02.jpg

そうしてこれまで書いてきたような「授業の目標」の再設定のこと、それに付随して「授業の評価」を大転換すること、「解法を教えない」ことが導かれたわけです。
ただ、たったあれだけの言葉でこんなにたくさんの事は出てきませんから、1年間の研究の中で見聞きしたことが助けになってくれています。

その中から少し紹介すると、
「授業が良い状態になると(学び合いが進むと)だんだんと教師が邪魔になってくるはず。そこで邪魔をしなければ学びは深まっていくので、授業が後半に向かって進むほどに教師は少しずつ透明人間になっていくことを目指した方が良い」
というのがあります。
これも大変印象に残った言葉なので、前回の「教師が解法を教えてしまったら台無し」という話は、きっとこれに影響されているんだと思います。

なかなか透明になれていない自分に反省です。


posted by kazyhazy at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 校内研 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 教育ブログ 図工・美術科教育へ
にほんブログ村