2017年01月05日

展覧会をどうするのか(5)

展覧会にはタイプがあるという話でしたが
ざっくり分けると・・・
全国レベル、県レベル、市レベル、学校レベル
に分かれるんではないでしょうか。

◆全国レベルでは・・・
全国教育美術展をまず最初に思いつきますが、美術教育以外の所からの依頼なんかもそうですね。
○○啓発週間のポスター地場産業振興のための絵画コンクールなどがそうです。
こういうのはさすがにレベルが高いです。
作品自体で審査されて、どういう授業なのか、宿題なのか、自主制作なのかは関係なくて
教師よりも生徒の力量に左右される場合が多いのではないでしょうか?
チャレンジ精神のある生徒にとってはヤリ甲斐がありますし、そういう展覧会なんだから文句はありません。
ただ、たま〜に子供らしくない凄い技量の作品が入賞することがあって、そういう結果が発表されたときに「そういう指導」を目指しちゃう先生の勘違いを誘発しそうで怖いですね(笑)

◆市レベルでは・・・
県を飛ばして先に市を書きますが、市教委とか市内美術科主任会が担当することが多いのではないかと思います。
無作為に応募してくるコンクールではなく、
市内の学校数もわかっているし・・・・・・、
展示スペースも限られているし・・・・・・、
作業をする教師の人数も少ないし・・・・・・

ということで、
持参できるのは各校何点!
そのうち必ず何点入選!

・・・というのが決まっている地域も多いのではないでしょうか?
こども美術展s子ども一列.jpg
市内で展示される市内の学校の作品ともなれば、本人や保護者が気軽に見に行くことができます
「地域の理解を得る」、そこにバイアスがかかった展覧会なのでどの学校からも一定の数の入選が出るように調整しているのでしょうね。
これがこの展覧会の役割なので仕方がない部分もあるでしょう。
美術教師だけが見に来て研鑽する展覧会とは目的が違うので、「こんな授業してたらアカンやろ」と思うような作品が入選することもヤブサカではないといったところでしょうか。
(良くは無いんですけどね)
授業はいずれ改善してもらう問題ですが、それは展覧会のあり方とは別の問題であるということです。

決まった枚数の賞状が各校に毎年届くのも大事なことです。
ただでさえ衰退の一途をたどる図工美術が始業式で脚光を浴びる数少ない機会です。
全国コンクールにビシバシ応募するような凄い学校しかそういう機会が得られないのなら、ほとんどの学校の始業式からこういう美術に関わる時間がゼロになってしまうかもしれませんから。

だからこういう現状になっているのですが、教師以外の人が読んだら、なんか腑に落ちない感じがするかもしればせんがどうでしょうか?。
私も腑に落ちているわけではないですが(笑)

長くなってきたので続きは明日に!


posted by kazyhazy at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

展覧会をどうするのか(4)

みなさま明けましておめでとうございます。
少しお休みをいただいていたブログの再開です。

s_ice_screenshot_20161231-195506.jpeg

さて、展覧会の持ち方について色々なエピソードを書いていたこのシリーズです。
展覧会をどうすれば良いのかを考えていきたいのですが、
間違ってはいけないのは・・・・
◆100点満点の素晴らしい展覧会がある。
◆自分がかかわっている展覧会は60点ぐらいである。
◆だから、ここをこう直して100点に近づけるのだ!

・・・・というのでは無いということです。
(そうやって改善していける部分もゼロでは無いですが)

たとえば全国的な生徒作品の展覧会を例にすると、
◆全国から大量に応募がある。
◆審査の時に教師の指導がどうだったか、授業がどうだったかまでわからない。
◆その授業の目的に照らして生徒の学びを検証したりもできない。
◆作品のみが持つ力と、その学年にふさわしい取り組みかどうかで判断される。

・・・・という感じだったとします(予想)
じゃあ、授業のことも生徒の学びも見取れていないそんな展覧会は全くダメなのかというと、一概にはそうだとは言えないことが分かると思います。
そういう展覧会にはそういう展覧会の意義や役目があるのです。

つまり、展覧会にはタイプがあるのです。

年末に紹介していた本県の展覧会で言うと
◆展示されるのは研究大会会場である。
◆見るのは勉強しに来た美術教師である。

だから、いくら生徒の力量が凄い作品であっても「こういう授業はやってほしくないし広がってほしくないなあ」と思えるような授業作品なら入選させるべきではない、ということになります。
それが、その展覧会の意義と役割になるわけです。

ただ、その辺がスパッと割り切れていないからこれまでのようなエピソードになるのですが(笑)


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2016年12月28日

展覧会をどうするのか(3)

私が平面の審査員の統括担当で
堤先生が立体の審査員の統括担当だったことは書いたと思うのですが
おもしろ〜い現象が以前からあるので暴露してしまいましょう
それは何かというと
「この二人が授業した作品は入選しない」
という現象なのです(笑)

以前に書いた授業のコピーの話の中でも
私が考案した授業を真似して授業してくれる先生方が出てきて、その先生方の授業作品が入選して、同じ題材なのに私のが落ちる・・・というのがあったと思います。

実はこれは北海道の山崎先生も同じ現象だったらしいと本人から聞いています。
まあ、山崎先生と一緒だというのなら光栄なのでまあいいか・・・という感じですね。
tenrankai04.jpg

山崎先生の言葉を借りると
「授業が良くなれば良くなるほど作品の見栄えは悪くなり、入選しにくくなった」のだそうだ。
そりゃそうでしょ。
「展覧会に入選するような作品を仕上げさせるぞ!」というような目標意識は微塵もないので、そっち方向へ誘導することはせずに、生徒の考えを尊重し、それが実現できるためのアドバイスしかしてないですから。
教師の側に先に完成予想図があって、そこに到達できるようにあの手この手で指導すれば、そりゃあ見栄えも良くなるでしょう。

ベテラン教師のオリジナリティあふれる授業作品を審査するときにも困惑します。出品生徒全員がこんな珍しい表現方法を使うとは思えないので、ベテラン教師ならではのアイデアなんだろうなと想像できます。
目を引きますが、生徒がその表現をする必然が無いのです。

当の審査会ですが
審査が始まる少し前の時間に堤先生が自分の授業作品を私に見せに来ました。
堤「どうですこの作品」
梶「おおお、メッチャ良いやんか」
堤「でしょ?。授業中のこの生徒の姿を見せたかったです。」
梶「けど入選はしないかもな」
堤「やっぱり」(笑)

記憶は定かではないですが、こんな内容の会話を交わしました。
本番直前の「わかる人にはわかる」ミニ審査会の模様をお送りしました。
posted by kazyhazy at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

展覧会をどうするのか(2)

作品審査をしていて、私以外のメンバーでさえ
「う〜ん」
と手が止まる時はどういう時なのかを
審査していただいている姿を見ながら考えてみました。

◆作品というより授業が未完成な時
作品の裏を見て「ああ、あの学校は初任者だ」とか「今は臨時講師だったなあ」なんて確認して「やっぱりなあ」となります。
残念であることには変わりないのですが、あまり無理は言えません。
ただ、学ばせたいことと素材が一致してなかったり、主題に適さない表現方法が選ばれていたりするので、生徒の力は100%発揮できません。

◆作品の完成度だけが、やたら高い時。
恐らく夏休みの宿題なのか?と思えるような風景画に多くて、景勝地を緻密に描いてあったりします。
宿題だったとしたら教師の指導は放任状態です。しかも授業時間に関係なく何時間でも描けます。
作者である生徒には何の罪もないどころか、表彰したいほどの頑張りです。
一般向けの公募展なら作品自体のクオリティだけで審査されるのかもしれませんが、授業作品の審査となれば悩みます。
これは、「この展覧会をどうするのか」「どういう性格の展示なのか」という展覧会の在り方を煮詰めて判断しなければならないことで、この作品をにらんで悩んでも答えは出ません。
tenrankai03.jpg

◆中堅教師の授業作品が番外編である時
多いのは「上靴のデッサン」とか「絵文字」でしょうか。
詳しくはこのブログの過去記事の「番外編の美術」とか「カテゴライズの問題」を参照していただきたいのですが、「上靴のデッサン」の場合はまずモチーフが強制的に指定されています。
そして主題生成(発想構想)の余地がありませんから、作品を通して生徒の思いが何も伝わってきません。
さらに技能面の試行錯誤が無くてデッサンの技法を学ぶ演習的な側面が強いです。
こういう授業を全く否定しているわけではないことはすでに書きましたが、演習を展示するというのはバレリーナが舞台の上で「筋トレやストレッチを披露する」ぐらい展覧会にはそぐわないでしょう。

「絵文字」なども、もしデザイン学習のつもりなら(A表現(2)に分類されるのなら)、他者を想定しての伝達や使用という客観性が学習の構想面に現れないといけません
しかしまあ、さすが中堅だけあって仕上がりはなかなかのもの。きちっと台紙に貼ってあったりして丁寧に授業していることが伝わってきたりなんかするともう悩んでしまいます。
根本的な間違えさえなけりゃ、「きっといい先生なんだろうなあ」なんて思うと、またまた審査の手が鈍ってしまうという訳です。

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2016年12月26日

展覧会をどうするのか(1)

年の瀬ではありますが、今日は中美連滋賀の役員会
毎年この時期の恒例になってきました。
1月に研究大会を開きますので
◆そこで展示する作品の選定
◆打ち合わせ
◆大会当日の授業の指導案検討

などが本日のメニューとなります。
tenrankai01.jpg
作品がずらっと集まり、これから役員で選んでいくことになります。
ここは立体作品の審査の部屋になります。全体統括は堤先生
もう一つの部屋は平面専用で、そこの統括を私が担当しました。

各学年に3〜4名の担当者が居て、その先生方が作品を見ていくのですが
審査の方法や学年間の調整役が私という訳です。
tenrankai02.jpg

ここ数年、展覧会には色々と悩ませられてきました。
こういう展覧会で良いのかなあ?・・・と思いながらも
じゃあどうすればよいのかというと、スパッと解決する方法なんて急に出てきません。

とりあえずモヤモヤしていたのは、これまでの展覧会で
飾られていた作品を見た時に、その作品が生まれる授業を想像して
「ああ、この授業だったらオッケーしないだろうな」
・・・と思ってしまうことです。
つまり、もし自分がその学校に勤務していて、同僚の美術教師がその授業をしていて、私がアドバイスできるような立場にあったら許可しないってことです。
そして、展示されている作品にそういう作品がまた多いんです。

何十年も続いている展覧会ですので、根本的に見直すというのは
時間もコンセンサスも必要なので
とりあえず今日は、自分のモヤモヤを平面スタッフに託すことにしました。
要するに「こういうことになってて困ってるねん」「今日の審査でちょっとでも何とかしよう」とお願いしてから審査に入ってもらったわけです。

偶然ですが、立体の方でも堤先生が「こういうのを選んでいこう」という話をして始めたようで、いい感じに進められたと聞きます。

後で行われた役員会でもそのことを報告させてもらい、今回を皮切りに少しずつ審査のあり方や展覧会の在り方について、話し合ったり軌道修正していったりする取っ掛かりが得られたのではないかと思っている次第です。
posted by kazyhazy at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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