2016年12月24日

授業を見る 授業を作る(23)

若い人の授業を見るようになって改めて
「授業を作る」
というのは大変なんだな、と再認識しています。
なかでも美術科は特にそうだと言えるでしょう。
だから、11月にアニューで若い先生を対象に話をしたときはこんな画面で始めました。
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数学の先生が新学期に
「う〜ん今年は何から始めようか」と悩んだりしないし
その他の教科もそうでしょう。
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美術科だけがそんなんだから苦労させられます。
前回までの授業のコピーの話なんかも、こういう苦労に起因するものだと思います。

その若い先生方への講習会で、
「まあ、9教科の中で・・・・、
    美術科の教師だけが少し給料が高いのはそういう理由からなんですね」
・・・と説明して、少し「しんみり」した雰囲気になったところで
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嘘だと告げた時は、予想外の爆笑だったのが印象的でした。(笑)
ニヤっとされるぐらいだと思ってたこちらが驚いたぐらいです。

前半の嘘の部分で納得してしまうぐらい皆さんは授業作りには苦労させられているということでしょうかねえ。


posted by kazyhazy at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

その授業、いただきます(最終)

さて前回、「題材だけを見て指導案をあえて見ない」という話を書きました。
題材名冒頭の言葉「めあて」の言葉でもいいので
その言葉を聞いただけで「ああ、それいいなあ」と思えたら
あとは自分で構築するのって、良い授業への近道かもしれません。

少なくとも展覧会で他校の作品を見て
「おっ砂絵なんて教材売ってるんやなあ。次はオレも砂絵にしようかなあ」
みたいに教材や技法からスタートするようなコピーよりはマシでしょう。
IMG_1647.jpg
あるいは、
先生同士で情報交換する時に
「今、どんなんやってるのん?」
「今学期は透視図法をやらしてんねん」

みたいな感じになるのも悲しいことです。
どうして技法や表現方法で会話するんだろ。
どうせなら題材名や主題で話をすればよいのに。
・・・ということで、
題材名や冒頭の言葉や「めあて」の言葉で交流しましょうよ。
皆さんから「こんな題材名でやってるよ」と教えていただけたら
授業の内容は知らせないで、題材名だけをこの場で公開して、
ブログ読者がどんな授業なのかを想像したり、
「自分だったらこう料理する」・・・というのを交流する。
良いと思いませんか?

てことで、募集しますので、ここのコメント欄でも
FBの方でも良いので、どしどしご応募ください!
(連載の最終回にこんなことやったら、最終回にならないような気もしますが)
ちなみに、
応募の一人目としてまずは私から。

私がやった授業の中に
「もしも美術が無かったら」という題材名の授業があります。
どんな授業なのかを知ってる人はダメですが
知らない人はラッキーです。
ぜひ内容を想像してみてください。
生徒の身近な生活の中から「美術」の要素が消え去ったらどうなるのかを考えてもらいながら、実は「いかに美術が大切なのか」に気づく授業・・・という所までは言っておきましょう。

実はこの授業、タイトルと方針は気に入っているのですが
授業の進め方や表現方法はマダマダ改良の余地があると思っている授業なのです。
全く知らない人から、
「このタイトルだったら、自分ならこういう風に授業をするよ」という新たな発想がいただけたら
それが一番の勉強になると思っています。

posted by kazyhazy at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

その授業、いただきます(9)

夏の美術教育学会(滋賀大会)でのこと。
静岡の加茂先生の発表の後の質疑応答で、マッキーこと牧井先生
「良い題材を思いつく時のきっかけ」について質問されました。
司会をはじめ参加者のほとんどが知り合いという感じだったこともあり
皆でどうやって授業を生み出しているのか何をヒントにしているかについて言い合う発表会のようになったのでした。
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その時に私が紹介したのは、
「ヒントとなる良い題材名に出会って、あえて授業を見たり指導案を読んだりしないで、その良い題材名にふさわしい授業ってどんなんだろうって考える・・・」
という方法でした。

実はこの学会の数日前に私は、東京で行われていた研究会に参加していて、そこで得られた知見にモロに支配されていたのです。
その研究会というのは参加メンバーが順に実践と研究内容を紹介しあうものだったのですが、
群馬県のK先生のレジュメを見たときに琴線に触れるものがあったのです
その先生の実践事例のひとつめは
(1)心の中の思いを花のイメージを借りて絵にする授業
という項目で始まっていました。
その文章を読んだ瞬間に、
◆生徒の心を表すA表現(1)の授業なんだ。
◆漠然とした心象ではなくモチーフが花であることは生徒にとってもわかりやすいなあ。

なんてことを中身の文を読むまえに勝手に想像してしまいました。
そして・・・
◆自分の気持ちを花に託すんだなあ。これは色々と出てきそうだ。
◆花であることが「心のイメージ」を引き出す助けとなり、
◆「心」であることが花にバリエーションをもたらすんじゃないか。

なんて考えてるうちに、
「自分が生徒だったらどんな風にしよう」・・・と色々考えてしまいました。

「この題材・・・いつかいただきます!」
と心の中で叫んで、指導案は見ないことにしました。

最初に紹介したポスターの授業は、
三重県のI先生の授業の技能面(表現方法)をコピーして
発想構想面(題材・主題)の部分を生徒に合わせて独自のモノにしました。
これも良かったけど、
今日のはその逆です。
題材・主題の部分だけをコピーして、それ以外を(改良ではなく)作り出していく。

こういうコピーも良いと思いませんか?


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2016年12月20日

その授業、いただきます(8)

前回は完コピの話でしたが、
完コピと聞いて思い出すのは初任者Yさんに、最初にやってもらった授業でした。
講師経験のあるYさんだったのですが
だからこそリセットしてもらう意味でもその方が良いかな?
・・・と思って、色の学習の基本部分を完コピでやってもらいました。
IMG_0032.jpg
完コピも完コピ!
他の学校の先生の授業をこっそり参考にさせてもらうのではなく
毎時間本人を目の前にして授業をして、しかも授業後に指導されるというのですから
初任研という制度とはいえYさんには気の毒な話でした(笑)
まあ、これほどの完コピもないと思うので、
こんな仕打ちもいつかは「やってよかった」と思える日が来ることを祈りましょう(笑)

画像を見てもらえばわかる通り、なんか「つまらなそうな授業」です。
「もっと他にやりようがあるだろう」
という声が聞こえてきそうですが、この授業はあえてストイックに徹したことで評価を得て、取り上げられたりコピーされたりした部分もあるので、これで勉強してもらうことにしたのでした。
なぜ題材開発から入らずに完コピから入ったのかというと
◆題材開発の研修は時間がかかるので4月には間に合わない
◆それよりも先に学ぶべき授業の基本がある

といった判断だったと思います。

この授業は生徒にとって初めてデザインセットを使う授業です。
だから用具の特性やら使い方やら、新しい情報に溢れています
そのため授業内容にストイックな制限をかけています。

水加減と色選択に集中してもらうためにマスキングテープで周囲を囲っています。
はみ出さないように気を付けなければいけないという要素を削った訳です。
「どこが授業の中心なのか、だから何を教えないのか」
を勉強してもらいたかったんですね。

そして一つの課題での学びが次の課題への伏線になっています。
学んだこと、知ってることを関連付けることも勉強してもらいたかったんですね。

その後、
四苦八苦の時間をかけて題材開発を進めたことは、このブログをお読みの方はご存知の通りです。


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2016年12月19日

その授業、いただきます(7)

授業のコピーの遠い記憶をたどっていくと、
自分が初任のころのことを思い出します。

最初に赴任した学校で、どんな授業をすればいいのかも全く分からなかった頃
同じ学校の先輩美術教師は、
「学校の周囲に生徒を出して、水彩画で風景でも描かしといたらええのとちゃうか?」
という感じの人で、私も言われたとおりにソレをするような人でした。
大昔の事なので、美術も毎週2時間連続でとってもらえて、
写生大会もあったし、そういう風景画も巷に溢れていました。
だから、当時は何の疑問も抱かずに風景画の授業をしてました。

ところがその夏に出張で実践発表会に参加し、出会ってしまったのです。
凄い先生に
その先生が紹介された実践というのは、こんな感じの作品でした。
markjpg.jpg
この画像は、コピーさせてもらった私の授業の生徒作品ですが、
左が「井上君」で、右が「はやと」君の作品です。(見ればわかるか)
自分の名前を使ったマークを作ろうというものでした。

この授業って、まるで梶岡がオリジナルであるかのように他の先生へと二次コピーが起こっていますが
実はこれによく似た授業をしておられた先駆者が居たんですね。
まあ、何年もやって改良に改良を重ねてますので、自分の授業と言えるぐらいのことはして来ましたが、今でもこの授業に出会ったときの衝撃は忘れられません。

ロクでもない授業をしていた時代の私ですが
◆生徒一人ひとりが独自のアイデアでアプローチしている
◆単純化や強調などのデザイン学習になっている
◆ユーモアがあり、生徒が楽しんで作っているであろうことが想像できる
◆教科書にはない、その先生独自の題材である

などのエッセンスを読み取って、目からウロコが落ちたのでした。

そしてオリジナル題材の開発に邁進したのかというと、そうはいきません。
最初は完コピから始めました。
なんせ経験のストックがあまりにも無さ過ぎました

学生バンド時代に有名ロックバンドの完コピから始めて、徐々にオリジナル曲を作ったりアレンジできるようになっていったのと同じ道をたどって、いくつかの授業の完コピをアレンジしながら自分のものにしていったという訳です。

この連載の過去記事では、
授業をそのままパクらずに、本質だけ残して生徒に合わせた変更が必要である
・・・というような事を書いていた私ですが
そういうことができる自分になるために、完コピのストックを増やしていた「鍛錬の時代」もあったことをここに暴露してしまいます。
経験の、あまりにも浅い時にはこの方が良いこともあるかもなのです。

今は時代も変わって、様々なオリジナル題材が生み出されています。
まだ若い人であるにも関わらずセンスがあって、素敵な題材を生み出せる人も多いように感じます。
けど、それが上っ面だけカッコイイ題材だったとしたら、いくらオリジナルだからと言ってそれは残念なことです
そうならないために、
カッコよくはないけど鍛錬の時代ってのも必要なのかもしれませんよ。

posted by kazyhazy at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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