研究会の在り方について改めて考えさせられることもありました。
それは「研究会のアイデンティティ」についてです。
例えば「中学校美術Q&A」だったら、活動を立ち上げた意義に沿って中身を決めていました。
だから必ず山崎先生による基調提案があり、
私によるワークショップ(アクション会議)がありました。
そこはQ&Aの存在意義でもあるので外せません。
じゃあ「学び研」はどうなのかな?
と、勝手に想像を巡らせました。
Q&Aとは違って主催者ではないので、主催者の近くにいる者としての想像や希望なんですけどね。
◆発表内容のこと
発表には、上野行一先生や奥村高明先生などの先生方の講話が挟まれていたという印象を持っています。実際に滋賀で学び研をやったときも「それだけは外せない」と(私が勝手に)考えて、お二人の話はプログラムに入れていました。
このお二人をはじめとする先生方による講話は、深い考察と広い視野と新しい知見に満ちていて、それを聞くことができるのは学び研の楽しみでもありました。
◆鑑賞教育フォーラムが前身だったこと
学び研はもともと鑑賞教育フォーラムが母体だったと思うのですが、参加者は当時「対話による鑑賞」を学びたいって人が集まってたのではないでしょうか。そのせいもあってか教師以外に美術館関係者の参加や発表も多く、大学生やNPOの宮島さおりさんを始め広いジャンルの方々の参集があったという印象を持っています。(実際に東京大会の喫煙所で話をしたのは音楽関係者の方だったりします。)そういう方々にとってもニーズのある内容というのが学び研だった気がします。
こういう感じが(私の勝手な)学び研のイメージであり希望でもあるのです。
主催者の先生方から見ると「ちょっと違うよ」と言われるかもしれませんが。

恒例の懇親会での「次期開催地発表」が酒の勢いも借りながら断行されました。
つぎは山形だそうです。
今回初参加の初任者Yさんは、「山形だろうと行ってしまいそう。今回参加できて良かったから」と言ってますので、今回が大変良い研究会だったことは間違いなさそうです。
・・・判定するのはYさんで良いのか?(笑)・・・
しかし、良い研究会を目指すという事が
イコールで「学び研」を冠する研究会を企画する事と同義ではありません。
研究会にはその研究会の存在意義があるってことを改めて考えされられます。
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