2016年12月27日

展覧会をどうするのか(2)

作品審査をしていて、私以外のメンバーでさえ
「う〜ん」
と手が止まる時はどういう時なのかを
審査していただいている姿を見ながら考えてみました。

◆作品というより授業が未完成な時
作品の裏を見て「ああ、あの学校は初任者だ」とか「今は臨時講師だったなあ」なんて確認して「やっぱりなあ」となります。
残念であることには変わりないのですが、あまり無理は言えません。
ただ、学ばせたいことと素材が一致してなかったり、主題に適さない表現方法が選ばれていたりするので、生徒の力は100%発揮できません。

◆作品の完成度だけが、やたら高い時。
恐らく夏休みの宿題なのか?と思えるような風景画に多くて、景勝地を緻密に描いてあったりします。
宿題だったとしたら教師の指導は放任状態です。しかも授業時間に関係なく何時間でも描けます。
作者である生徒には何の罪もないどころか、表彰したいほどの頑張りです。
一般向けの公募展なら作品自体のクオリティだけで審査されるのかもしれませんが、授業作品の審査となれば悩みます。
これは、「この展覧会をどうするのか」「どういう性格の展示なのか」という展覧会の在り方を煮詰めて判断しなければならないことで、この作品をにらんで悩んでも答えは出ません。
tenrankai03.jpg

◆中堅教師の授業作品が番外編である時
多いのは「上靴のデッサン」とか「絵文字」でしょうか。
詳しくはこのブログの過去記事の「番外編の美術」とか「カテゴライズの問題」を参照していただきたいのですが、「上靴のデッサン」の場合はまずモチーフが強制的に指定されています。
そして主題生成(発想構想)の余地がありませんから、作品を通して生徒の思いが何も伝わってきません。
さらに技能面の試行錯誤が無くてデッサンの技法を学ぶ演習的な側面が強いです。
こういう授業を全く否定しているわけではないことはすでに書きましたが、演習を展示するというのはバレリーナが舞台の上で「筋トレやストレッチを披露する」ぐらい展覧会にはそぐわないでしょう。

「絵文字」なども、もしデザイン学習のつもりなら(A表現(2)に分類されるのなら)、他者を想定しての伝達や使用という客観性が学習の構想面に現れないといけません
しかしまあ、さすが中堅だけあって仕上がりはなかなかのもの。きちっと台紙に貼ってあったりして丁寧に授業していることが伝わってきたりなんかするともう悩んでしまいます。
根本的な間違えさえなけりゃ、「きっといい先生なんだろうなあ」なんて思うと、またまた審査の手が鈍ってしまうという訳です。



posted by kazyhazy at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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