2016年11月11日

授業を見る 授業を作る(19)

先月紹介した中美連滋賀での鑑賞の研究授業
あれも事前に指導案を見ていてオッケーしたのに実際に授業を見てびっくりという話でした。
今回の教委訪問に向けたピクトグラムも同様で、
指導案に現れないプレゼン画面の内容とか、生徒との応答が私の予想外だったので
「まさかソッチへ行くとは思わなかった」
みたいなことになった訳ですが・・・実はもう一つあります。

本校で進めている校内研究の授業が先日ありました。
中堅理科教員の理科の授業だったのですが、それも事前に指導案を見せてもらってアドバイスをして直してもらってオッケーを出した良い授業案だったのですが、これも授業を見てビックリでした。
授業後の研究会で生徒観察チームからは
「生徒があまり学べていなかった」
と報告があり、理科の専門チームからは授業計画の改善が提案されました。

私がオッケーを出した指導案は
もうこれで短い期間に3連敗です。
pict03.jpg
何でこんなことになったのかちょっと考えてみました。
「指導案なんかで授業はわからないよ。当り前じゃないか」
とおっしゃる人もいるかもしれません。
実際確かにそうだったわけですが、それは考え方が周回遅れしてます。

本来指導案というものは、それを読んだ者がまったく同じ授業をできるというものでないといけません。そうでないのならそれは一般化できていない不完全な指導案ということになります。
それを踏まえたうえで考えると
近年目指している授業のスタイルと無関係ではないと思うのです。

最近あちこちで書いた自分の文章を思い返してみると・・・
◆生徒が「私がこういう解釈を発言したから授業がこう進んだ」と思うような・・・
◆生徒は良い授業の録画を見ているのではなく生放送に参加しているような・・・
◆その時その場に居るものだけが生み出せる奇跡のようなナマモノみたいに・・・
◆生徒の考えを聞いて、生徒の呼吸に合わせて、授業がどこに進んでいるか見極めて・・・

というようなフレーズだらけです。
これでは計画通りに進むことを期待していない文言ばかりと言わざるを得ません(笑)

「だから言っただろう。イマドキ指導案なんか古いんだよ」
じゃないよ周回遅れ君。
生徒の呼吸に合わせて、場を見極めて生放送の応答ができるということが難しいんです。
私が見た3人はどれも
「これからの勉強のために授業を公開してよ」
と頼んだ人ばかり。
そういう応答ができて当たり前と思うのは酷です。
そこに見込み違いがあったのでしょうね。

つまり、指導案はやはりあれで良かったのです。
そういう応答をこれから勉強すれば、あの指導案のままでもきっと良い授業になるのだと思いますよ。


posted by kazyhazy at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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