これまで仮説検証型の研究の難しさについて色々と書いてきました。
少し間隔があいたのでまとめると・・・
◆仮説検証は自然科学には有効、教育の場では慎重な扱いが必要
◆学び合いやアクティブラーニングでは無効、逆効果
◆美術では、まともな美術の授業なら無効
・・・という感じでしょうか?
「教師がこんな教え方をすれば、生徒はきっとこうなるであろう」
・・・という仮説が成り立つかどうか考える前に
こういう考え方自体がすでに昭和の授業ですよね。
「生徒がこう考えたから授業がこうなった」
「生徒がこういう意見を言ったから作品の解釈がこうなった」
という感覚を、無理なく体得していないと上の仮説の可笑しさには気づけないかもしれません。

さて、一世を風靡したPDCAのことを書くと言いながら後回しになってました。
PDCAというのはご存じのとおりPlan→Do→Check→Actionの頭文字で、計画して実行してみてチェックして改良して、次の計画を立て直して・・・と螺旋状に延々と続く考え方です。
これ自体は悪い考え方ではありません。
「運動会を計画して、やってみたら計画の不備が見つかったので改善して次年度の計画が良くなった」という使い方なら何ら問題はありません。
むしろ学校と言う組織でよくありがちなのはPDCA段階さえ十分機能していないで、同じ行事で翌年も同じような失敗を繰り返すというパターンなのかもしれません。
まだ学校でPDCAという言葉がほとんど聞かれんかった10年ほど前、じつはすでにPDCAの問題点について研究会で話し合ったことがあります。まだ導入もされていないのに気の早いことです。
前回に登場した「磨き上げられた指導案」ですが、これはPDCAによって改善を重ねた指導案ということになります。磨き上げられたすっごい授業なのですから、どんな生徒が来てもこれでバッチリ!という感じになります。つまり、生徒が何を言っても変化しない授業と言うことになりますからPDCAでの授業改善には問題があるということですね。
運動会の話と合体させて考えてみると分かると思うのですが、PDCAは大人同士の仕事には役に立つようですが、子供相手に使っちゃいかんということなのではないでしょうか?
なんでも「PDCAで改善」という人も問題ですが、「今時PDCAなんてダメだ」という人もステレオタイプです。有効な場を選んで絶妙に使っていただきたいものです。