2012年09月01日

鑑賞のあり方について思うこと(3)

前回は「対話型鑑賞」という斬新な授業内容があるのではなく、本来あるべき学びのスタイルがあって、そこに鑑賞をもってきただけ・・・と言う話でした。
対話部分と鑑賞をワンセットで扱うのではなく、ここは分けて考えた方が良いという部分から、今日は少し展開したいと思います。

二つを分けて考えると見えてくるのが、両方の可動性です。

対話のない知識教授型のスタイルに「鑑賞」を持ってきた時代があって(今もそうか?)、
その後、インタラクティブな学びのスタイルに「鑑賞」を持ってくることが出来た。(これが対話による鑑賞)
それなら同時にこんなことも考えられるはず。
それは、あるべき学びのスタイルに「表現」を持ってくることもできるはず・・・ということ。
言わば「対話による表現」みたいな感じでしょうか?
seitoku2.jpg
インタラクティブで無い方の表現の授業を想像すると、
1,どんな作品を作るのか、完成イメージが最初に例示され、アイデアスケッチを描かされ、ゴールを先に確定させられる。
2,ゴールに向かってノルマを消化するかのように作業で埋めていく。
3,たいていの生徒にとっては初めての題材なので100%想定通りには仕上がらない。
4,友達に「アイデアは良かったのにねぇ」なんて言われながら「途中まではなんとか行けるけど、色を塗るといつもアカンねん。」なんて苦笑いをする。
・・・・というような感じになるのでしょうか。

かつてこのブログで紹介した奥村高明先生の言葉である
授業というのは「今日は一体何が起こるのかな」と思える時間。
そして誰も出会ったことのないような新しい自分に出会える時間。
昨日まで思いもしなかった発想や技能が生まれるような「化学反応」をひきおこすキッカケが題材。
ひきおこすようにある種の制限を課した提案こそが題材。

・・・における題材や授業のイメージとはかけ離れています。

だから、最近色々なところで「対話による鑑賞」を勧めるのと同じくらい
ゴールを想定させない「表現活動」をプッシュしています。
このブログ内でもタビタビ登場しています。(例えば「材料体験」というタイトルの記事)

滋賀の夏の研究会もこれを推進する内容にして行い、冬の大会もこれに続く内容になるよう計画を進めています。(このことも一度書きましたが)

対話型鑑賞・・・なんていう呼び方ではわかりにくいと思いますが
単なる本来的な鑑賞と捉えれば、そこから本来的な表現をもイメージし易いという話です。



posted by kazyhazy at 22:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
連絡ありがとうございました。
日本での美術科教育はとても進んでいるので、
一緒に学びたいです。
それをまた世界の美術科教育家や
美術科の先生たちとつないでいけるといいと思います。
ヨルダンの美術の先生にも、このブログを読み、
感じたことを伝えますね。

ぜひぜひ、ブログをリンクしてください。
ただ、このブログは、ヨルダンにおける
美術科教育のことだけを書いているのではなく、ヨルダンで感じたことをつれづれ書いているものです。

どちらかというと、中東全般にわたる話題が多いです。

ご了承ください。

よろしくお願いします。

和さん
Posted by at 2012年09月03日 09:44
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