2012年04月29日

題材を選定すると言うこと(5)

前回、自画像の話がでました。
私自身、自画像の授業はしないし、させたいとも思わないのでエラソーなことは言えないのですが、色々なタイプの授業がありますね。

■ずっと以前に見た授業ですが・・・
生徒の作品の自画像の描き方に「表現の技能」に関する方針が感じられないものがありました。輪郭線で描いている生徒やデッサン調で描いている生徒、どう描いて良いのかわからない生徒の作品が混在していて、鉛筆による素描なので、描画材の工夫による牽引も無し。人物のバックはグラデーションやモダンテクニックで埋められている・・・・というもの。
教師の迷いがそのまま授業に反映されていて、生徒に「どんな風に描けば良いんですか」と問われ、「背景はどうするんですか」と問われるたびに「ああ、ちゃんと決めていなかった!」と後悔されていたんではないかと想像します。(そういう後悔にさえ気づいて居なかったら終わっていますが)
h08.jpg
■これは聞いた話ですが・・・
技能に関する方針が徹底している授業の話を聞きました。上の授業の対極にあると思うのですが、今日は「眼」の描き方・・・・次回は「鼻」の描き方・・・・という風に進行する授業があったそうです。
その先生なりに、「どうしたら皆に力を付けられるだろう」と考えた上で、丁寧に指導されているのだから好感は持てます。しかし、このシリーズ(題材を選定すると言うこと)をこれまで読んでこられた方は、乖離している部分に気づくと思います。

まともに人間の顔を描こうとすると、頭部の骨格構造や画面全体の配置という大きな「つかみ」を経て、髪や目鼻といった特徴のあるパーツの「描き分け」、頬などパーツが無い部分の曲面や陰影・・・というように処理しなければならない情報量は三次元的に多いです。
h21.jpg
だから、形は写真やコピーを使う。その代わり「陰影」を授業の重点に置く・・・みたいなマトの絞り方も必要になってくるのかもしれません。

ただ、方法の絞り方としては「有り」ですが、当初の「自己を見つめ直す」などの主題から逸脱しない絞り方でなければ対処療法にしかなりません。

そう言えば、細長い画用紙を横長に使って、「目元だけ」の自画像を描かせている先生がおられました。技能面の情報量が散漫にならない絞り方だなあ・・・と思ったし、生徒達はじっと「鏡の中の自分の眼」と対峙していたので「ねらい」との整合性もとれていると感じました。
「眼」だけでも、出来上がった作品は表情豊かで、その先生なりの授業に対するアプローチの視点を学ばせていただいたのを覚えています。

(掲載作品は中美連滋賀のWeb展覧会の入選作品から転用させていただきました)


posted by kazyhazy at 01:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自画像の課題、いろいろなパターンで取り組んできましたが、確かに難しい課題。でも、鏡の自分と会話をしている生徒の様子は、いつ見てもいいもんです。
Posted by こすみ at 2012年04月30日 20:54
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
にほんブログ村 教育ブログ 図工・美術科教育へ
にほんブログ村
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。