2012年02月15日

「無限の可能性」に思う(3)

「可能性」を強く感じる授業があります。
けどそれは「無限の可能性」ではありません。

生徒の無限の可能性を追求しすぎた授業では
あまりにも生徒が選べる可能性が多すぎて消化不良をおこしているようにも見えることがあります。
まるで「砂漠の真ん中に置き去りにされた」ような自由ですね。

都会のような交通ルールに縛られることなく
前後左右どちらにも進めますが、それは本当の自由なのか?と思ってしまいます。
mirai7.jpg

自由とルールの、どの辺がさじ加減か?と考えるとき、なぜか関数のことを思い浮かべます。

y=2x+5

みたいな関数です。

生徒は好きな値を自由に代入できます。
それによっての値が返ってきます。

学びや作品が「Y」だとすると、
代入するによって、一人一人に違ったが生まれてきます。

切片や係数は授業です。
ここの数字を決めるのが教師の役目です。

生徒は自由にXの値を選べるのですが、
授業の道筋の線上にいるような感じです。

教師は
「こんなの値が出るように・・・」と最初から想定して式を作ってはいけません。(作品主義です)
の値はこの辺がいいんじゃない?」と誘導しても行けません。
そこを生徒が考えるのこそ、その授業の価値なのに、それをやったら無意味です。(授業もどき)

わかりやすいように一次関数で書きましたが
実際に美術の授業を計画する時に登場する要素は三次関数以上の場合が多いです。

授業の自由さについてこんな風に考えてみましたが
どうなんでしょうね。
的外れだったでしょうか?



posted by kazyhazy at 00:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 美術教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
美術教師は、なにものにも縛られない自由な表現こそ芸術だという思いが強いのではないでしょうか。それは作家としての思いがあるのであって、美術を通した教育とは違うベクトルだと思います。条件を定めて工夫させるほうが、こどもはたのしみが強いと思っております。いかがでしょうか。
Posted by ただ at 2012年02月15日 23:58
コメントありがとうございます。芸術というものの広さや大きさが良いときもあるし、それに振り回されることもあるんじゃないかと危惧します。
Posted by kajioka at 2012年02月16日 00:54
とてもわかり易くまとめて頂き有り難う御座います。頭がスッキリしました。
明石市の美術教師にこの考え方を伝えて宜しいでしょうか?

私達教師側のYの捉え方が難しいですね。
教師が、生徒離れ出来てないと言うか…先生のYの捉え方で、私自身が考えないといけない点が、より明確になりました。
Posted by 魚住東中のクワムラです。 at 2012年02月17日 07:16
こんな、思いつき程度の説明ですから、どこで使ってもらっても結構です。私も繿コ先生の部活指導の真似をしていますからね(笑)
Posted by 梶岡 at 2012年02月17日 11:19
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