最近チョット「違うなあ」という気になってきました。
美術教育の現場教師をどう想定して次を考えるか
・・・というような事をまとめたかったので、
もう少しそれに近い言葉にすれば良かったですかね。
さてこれまでの記事で、
■展覧会に出品される児童生徒の作品から類推できる現場の様子
■世代別にかかえる問題の違い
■地域による研修環境の差
・・・・から色々な「想定」の材料を取り出してきました。
今日はちょっと違う観点から考えてみます。
(といっても重複する部分も多いのですけどね)

みなさんは授業を考案するときに
美術が得意そうな生徒を想定して、画家を養成するかのように計画するでしょうか。
それとも平均的な生徒を想定して課題の難易度を調整するでしょうか。
私はどちらかというと美術に無縁の生徒をターゲットにして計画を始め
その後で、できれば得意な生徒も満足できるように工夫を加えるというスタンスです。
世の中は反対の授業が多いですね。
「絵を描きなさい」と画用紙を渡して、得意な子はそこそこ描けているので、描けない子を机間巡視でフォローする。しかもこういうのを「適切な支援」なんて呼んだりすることは無いですか?
これは、そこそこ描けることを標準と想定して、描けない子にも満足して貰えるように手を加えるというスタンスですよね。
教員研修に話を戻します。
演台から研修会場を見るとき、まるで授業をしているような錯覚にとらわれます。
参加されている先生方を生徒に喩えるなら、これはもう非常に優秀な生徒です。
義務教育でもないのにワザワザ遠いところから参加する熱心な生徒です。
つまり美術が得意な生徒ばかりを相手に授業をしているようなモノです。
美術に無縁で苦手意識を持っている生徒を想定して授業がしたいと思っている私にとっては
教師の研修会でも「今この場に来ていない、来たことがない、来ることが出来ない」先生方と出会いたい、出会って話を聞きたい・・・・なんて思ったりします。
授業改善を全国的、全体的に推進するためには、いつも研究会、研修会に来ている熱心で得意なメンバーだけで話が盛り上がっても広がらないのかも知れませんね。
どうすればよいのか難しいですが、今この場にいない人のことを一番に考えなければいけないんでしょうね。