「今までこんな活動を経験してきた生徒だから・・・」
「この部分が課題で、次の学びに期待できるから・・・」
こんな授業をしました。あるいはこんな授業をしよう、というのと同様に
美術教育を推進するために、あるいは研究会を意義深いものにするためには
教師観をもって
「今こういう状況だから次にどうしよう」
と考えるべきなんじゃないか・・・という感じで書き始めたこのシリーズ。
今日は4回目ですね。
前回は、地域の応募展に寄せられた作品から、現状を大きく3つに分けてみました。
別の角度ですが今日も3つに分けてみます。

(これは学会のパネラーとしても話題に挙げたことなのですが)
最近聞いた話です。
指導要領や教科書が変わるときには各都市で教育課程研修会が行われますよね。
そこで、年配のベテラン美術教師陣の間でこんな会話が交わされたそうです。
「わしらはもう残り少ないし、指導要領が変わろうが、これまでと同じ授業をするだけやなあ」
「そうそう。いまさらスタイルは変えられへんしなあ」
・・・だそうです。年配教師の本音のようですね。
自分もそこそこの年齢なので人ごとだと笑っていられませんが(笑)
■まず年配のベテラン陣に結構こういう人が多い・・・という現状が理解できます。
確かに古き良き時代、美術が2時間連続だった時のような重厚長大な実践を時々見ます。
(もちろんベテランらしい素晴らしい取り組みもあるのですが)
次に20代の若手はどうでしょうか。
徐々に採用が増えてきたと言っても、本県では格段に少ない20代。
美術の授業が減りつつある時代に小中学生だった彼ら。
一緒に勉強する同年代の美術教師は少なく、それどころか配置された学校に「ひとり」ということもザラ。
■我々が若い頃に仲間と研究したり、同年代と切磋琢磨していたような環境とは全く違うところで苦労しているのが若手の現状だと捉えることが出来ます。
よほど向上心が強く、部活などで忙しい若い時代にも関わらず単独で研究会に飛び込んでいける人しか「授業もどき」の魔の手から逃れることは出来ないんじゃないかな。(たぶん小中学校時代にもそういう授業しか受けてないと思うし。)
次に中堅層はどうなんでしょう。
これはもうスパッと二分されるんじゃないでしょうかね。
(統計を取ったわけではないですが)
ぐんぐん力を付けてくる人と、まったく顔を見なくなった人。
運動部にのめり込んだのか、学年主任や進路主任で名が売れてしまったのか。
理由は分かりませんが、年齢的にも慣れてるぶん授業は小手先でもそれらしくできてしまう。(ここが大問題)
前述の「大ベテラン年配陣」の予備軍ですね。
学校としては私なんかより、よほど必要とされる便利な人材かもしれないですけどね。
■中堅層は、その地域の取り組み次第。
本県のように研究組織がかなりバリバリやってるところでは、段々その価値に気づいて食いついてくる人が出始めています。それでも少ないですが。
滋賀のようにやっていても、ナカナカままならないのだから、そう言う環境に恵まれないと状況ならかなり厳しいと思います。
市や県の研究会が動いていないのなら「学び研」のような全国レベルの研究会という手もあるのですが、そういうのに「行こう」と思える人なら苦労はないですよね。