2011年09月05日

授業改善推進のために思うこと(1)

この夏も各地で活発に研究会が催され、
授業改善をはじめとする様々な領域で成果があったことだろうと思う。

そのような場で、今でも
「私は、授業でこんな作品を作らせました
なんていう実践が発表されることもあるのですが、
このブログをお読みの方々は
「そんなんではダメだろう」
とご理解いただいていると思う。

また、授業研で
「この材料より、あれを使わせる方が良かったのじゃないか」
「この生徒の作品は、その色をもっとこんな風に塗っていれば上手だったのに」

みたいな教材論に走ってしまったときも
「ダメだろう」と考える。

なぜダメなのか。

それは生徒(児童)不在の議論になっているから。
あるいは、軸を生徒の「学び」に据えていない本末転倒の協議だから…。

この理屈を各地の研究大会に当てはめてみる。

この夏に3つの研究大会に参加したが、3回とも壇上から参加者を見渡すような立場にいたからそう思うのかも知れないが、美術教師といえども研究会に学びに来ている限り「この場では生徒だ」と。

生徒不在の議論や「学び」を軸にしない授業研が不毛なのと同様に
美術教師の姿をとらえ、教師の学びをデザインしないと研究会も不毛なモノとなるだろう。

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そう言う意味では、学び研(秋田大会)は慧眼だったと思う。
フォーラムのテーマの中に「教師の学び」という言葉が入り、このブログの記事をつかって「良薬は口に苦し」的な話をして欲しいと要請があったときは
「やっとそういうニーズが生まれたか」と思ったものだった。

美術教師が何に困っているのかを知ることは、
「時数が少なくて…」「学校の多忙化で…」「担当生徒数が多すぎて…」という
本人が気づいていて言葉に出来るようなことでは無いと思う。

若い頃の自分を振り返って、
いつ何がきっかけで「作品主義」から脱却したのか。
いつ何がきっかけで「ねらい」に照らして、授業の要素に整合性を持たせるようになったのか
いつ何がきっかけで「生徒の学び」主体の授業に切り替わったのか…
などをさらけ出しながら

研修を受けに来た目の前の美術教師の「本人さえ気づいていない部分」はどこなのか…に周囲が先に気づくことなのかなと思う。
研究会で「子ども」の事が語られるのは大いに結構だと思う。
けど、図工美術に携わる者が今どういう現状になっているのかという「想定」は必要だとおもう。


posted by kazyhazy at 14:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 切り口 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その3まで読んでの感想です。じっくり読むと面白い。ウン、納得。
Posted by hakusuke at 2011年09月07日 23:30
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