2011年02月17日

学び研:秋田の参加報告3

<色:#006600>すごいよ〜
今、ネット上ではものすごいスピードで意見交流が行われています。
こちらのリンクをご覧ください。
<リンク:http://forart.exblog.jp/15931340/>

上の画像をクリックすれば、リンク集を作ってくださったアンドレカンドレ氏のブログに跳びますので、ご活用ください。

色々なページを飛び回ってネットサーフィン(死語)している毎日。
自分のページの更新もままならないほど!

こちらのブログでも「参加報告」と「切り口」の2本立てでやってきましたが、「参加報告」の方は必要ないみたい。
ここよりも早く、正確な報告が次々にアップされていますからね。

・・・ということで前回からすでに通常の報告を逸脱して、他の人が気づいていない「内言」「外言」発言でのやりとりに触れました。時系列に沿って何があったかを書くのは辞めようと思います

今日、粘土を使った表現の授業を終えて、空き時間に生徒の作品をぼーっと見ていたときに「内言」「外言」の事を思い出しました。

塊を削り出して作る彫刻の時、作品が未だ出来ていない<色:#ff6600>制作過程でもすでに「外言」だな。

粘土を、こねて曲げて作るときは「内言」のまま作品として表出してるな。
すでに出来上がった作品でも、<色:#ff6600>まだ「内言」のままだな・・・・と。

わかりますか?
これだけじゃあ、説明不足ですよね。
(よ〜く考えたら解って貰えるとは思いますが)
私はすでにこの方面ではフライングしているので、内言的思考が勝手に過去の研究を結びつけて、2歩も3歩も先に答えを出してしまうのです。
外言が追いついていないので簡潔な説明は難しいですが、奥村高明先生や上野行一先生と一日目の夜に話した内容と合致します。

上記の粘土作品の例と同じで、「内言」「外言」が美術作品にはぴったり一致していないのです
(もちろん子どもの学びを分析するためには「内言」「外言」も有効な考え方です。)
つまり、<色:#cc0000>美術の制作プロセスでは、まるで内言が発想構想をあたため、表現の技能で作品として外言化される・・・・というような誤解を生んだのは確かです。
そんなにシンプルな物ではありません。

前回に引き続き、重ね重ねお詫びします。

何を謝っているのかさえ、わからなかったらごめんなさい。


posted by kazyhazy at 21:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 研究大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
内言と外言、言葉の意味は詳しくは解りませんが、どちらも大事なものだと思います。
内言であれ外言であれ、ややもすると見過ごしてしまいがちな生徒達の小さな小さな心の声を、しっかり見てあげれる人格者として、美術の感性的にも人間的にも、もっともっと自分が成長していかなければならない!と思っています。
Posted by 魚住東中学校のクワムラです。 at 2011年02月18日 05:35
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