「蔓延」なんて変換機能がないと漢字で書けないような字ですな。
美術教育を語り合う上での注意事項?を二つ述べた後、「胡散臭い」という言葉の流れで、話題は「もどき」の方へ進みました。

これに関しては、過去ログでも取り上げたのことがあるのを記憶しておられる方も居るんじゃないかと思うのですが・・・・・
よし!リンクしよう。
いつも心に切り口を(1)
この「もどき」というヤツは、最前線で子どもと向き合っているからこそ「もどき」になり易い・・・ということは無いですかね。
やはり、目の前の子どもが目を輝かせて取り組んでくれたら、
(たとえ授業もどきでも)
「どうですか!みなさん。私がこんな授業をしたら生徒達は熱心に取り組みました!」・・・と発表したくなる気持ちはわかるよなあ。
(それは単なる結果論なんだけど)
絵の具やパレットが置いてあって、いかにも美術っぽい活動をしているだけ・・・というような「もどきの授業」よりも、熱意が感じられる分よっぽど共感が持てる。
(教師が頑張っている授業・・・になってしまうんだけどね)
まあ、「研究会もどき」も、たくさん蔓延している現状を考えると「もどきの授業」もナカナカ無くならないだろうなあ。
なぜ私が「ギター侍(hakusuke命名)」のように、もどきをバッサバッサ切るのか。
「普通、大人だったら発言は穏当にしたり、研究会では相手のことを考えて指摘するもんだろう!」・・・・と言われればその通りなんですが。
失礼を省みずに「切る」のは、相手の先生の後ろに生徒が見えるからです。
失礼承知で先輩教師でも「切る」のは、その先生の後ろに後輩教師が見えるからです。
もどきの授業を受ける生徒達は、美術の授業ってこういうものだと誤解しながら大人になります。
もどきの授業をみた後輩教師も、美術の授業ってこういうものだと誤解しながら、自分の生徒にそれが伝わります。
「今」切らないと50年でも100年でも次の代に蔓延するのが「もどき」なんだと思っています。
返す刀で自分も切り続けたいですねえ。
またまた、バッサリ切られたアー。
いい提言有り難う御座いました。
もどき、切り口・・・あの短時間でギュッとつまった内容の濃さに驚きました。
まだまだ切るまでもない”もとからもどき”の授業ばかりですが、新しい切り口から見てみたいと思います。
ありがとうございました。
ナツノミネさん、コメント催促でごめんね。けど、ネット上は<span style="color: #ff6600;">双方向で情報交換</span>しなきゃね。
これを機会にどしどしカキコしてください。
私も自分は<span style="color: #ff6600;">「もどき」</span>だと思っています。学校という所はナカナカ予定通りには行かないし、生徒の動きも予想外だし、多忙さ・煩雑さのせいで<span style="font-weight: bold;">授業もどき</span>になることもあります。
それだからこそ<span style="color: #ff6600;">当初の計画の段階</span>ぐらいは「もどき」を脱却したいと思って<span style="font-weight: bold;">考え抜いている</span>だけなのです。</色>